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高橋茉琴伝 その2



前回記事、学生編をお読みいただきましたみなさま、ありがとうございます。

今回はその続き、舞台女優への道実践編でございます💃

学生編はこちら

おお、ちょっと気取って💻で書いてみようと思ったらiphoneと違う!(当たり前)






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前回のつづき✏️


無事短大を卒業し、事務所に入ったものの、世のタレント事務所に多くある新人養成と称したレッスン(もちろん有料)と、時々オーディションばかりで仕事のない日々。

割と大手な事務所ではあったけど、所属人数も多く子役とはニーズも違い、なかなか想像していたものとは違った環境でした。

頑張ればどうにかなるものではなく、自分という人間が『商品』となり、とりたてて綺麗でもないしスタイルがいいわけでもない私は、所属タレントの中に埋もれます。今考えてみると、その時やれる限り頑張ってみてもなかった自分に腹が立つ。笑

そこに所属しているというだけで安心感があったのか、焦る事もなく、歌とダンスのレッスン、事務所レッスンと時々オーディションをこなし、アルバイトの日々を過ごします。演劇学校出たのにいつまでレッスンしとんねん私。笑

しかしそこでの数少ないオーディションの中にあったミュージカルに合格し、学生卒業後初めての舞台に立ちます。


真夏の夜の夢、パック役。緑のウィッグ。

Wキャストだった子とは今でも親友。それだけで出る価値はありましたが、若手と子役ばかりのとてもプロとは言えない舞台だったかなとお思います。でも初舞台ですもの!どんな舞台だって財産です。



ここまでが『お前気付けよ、もっと焦って頑張れよ!期』



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それが終わるとまた元の生活に戻り、

危なくアルバイト先で出逢った社員さんと順調に結婚しそうになる手前で何だかいろんなものに阻止され我に返ります。笑




自主的に通っていた時代劇ワークショップの舞台に出演させていただけることになり、メンタルめためたにやられましたが大好きなお兄さんお姉さんに沢山お世話になりながら生き長らえ、(この頃出逢った兄さん姉さんは、今も変わらず全員愛しています、大好きな先輩たち)



直後、短大の同級生の紹介で舞台に立ちます。

恐々お引き受けした舞台でしたが、偶然にも同じ高校出身の後輩が脚本を手掛けている時代劇でした。短大と高校のご縁のコラボレーションや〜👐

これを機に、同じ場所で数回オファーを頂き出演を続けます。



ここまでが『ご縁はありがたい、自然と舞台に引き戻された期』



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その間で自分の居場所を見つめ直し、舞台も積極的にできる事務所へ移籍します🏃



有名ではないけれど、小さくても映像の仕事も頂けて、舞台の出演希望も聞いてくださるいい事務所さんでした。やっぱりレッスン(有料)もあったし、事務所内テストなんかもあって気が抜けませんでしたが。笑

でもこの事務所さんから今に、そして今後に繋がる数々のご縁をいただいた気がするし、映像作品にはこの頃に一番多く出させて頂いていました。

感謝。




事務所さん経由でいただいた舞台のオーディションに合格し、短大の卒業公演で使った俳優座劇場に再び立ちました。初めての商業の、私にとっては大きな舞台でした。

ここで私は、短大の頃と似た感覚を思い出します。

私は今まで何をしておったのだ、周りに全然太刀打ちできん!!!!!!!と。笑

ようやっと、それまでのほほんと過ごしてきた時間を悔やみました。

場数も度胸も見栄を捨てることも、全部が全然足りなくて、この稽古期間は泣いたり凹んだりの繰り返し。自分が思う自分と、実際の自分との差がすごく大きくて。自分よりも年下や、同じくらいの年齢の子が沢山いる中で本っっ当に恥ずかしかったなあ。

でも後に、この経験は私にとって物凄く大きな宝となります。

これは、演者には絶対に必要な経験なんじゃないかと思います。

なので、ここがやっと第一歩。



ここまでが、『よちよち歩行始めました期🐣



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そこからです、自分でオーディションを受けに行ったり、紹介していただいたりしながら数多くの舞台に立たせて頂きました。

一つ一つに思い出や貴重な経験が沢山あるのですが、書ききれないので割愛。



直接今の自分に繋がった実感があるのは、シアターキューブリックさんのオーディション。

現在の私の周りの全てのご縁はここから派生しています。

キューブリックさんには今も公私共にお世話になりっぱなしです。

オーディション受けてマジでよかった。



多い時は年に16本の舞台。

短大卒業からも辞めずに弾き続け、講師ができる場所があった三味線のおかげもあって、なんとかギリギリ食べることができるようになり、アルバイトを辞め、舞台に専念すべく事務所を退所。


ここまでが、『迷うな!とにかく経験だ!期』




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その後ご縁あって再び事務所さんにお世話になった期間もありましたが、プライベートな事情もあり、今年またフリーに戻り、現在に至ります。




2015年に、えのもとぐりむ氏

と出逢い、えのもと氏の作演出で公演を打つ

team Genius bibi 

という団体に所属することになりました。

ここで役者をしつつ、舞台を製作する裏側についてのことを学びたかった。

それぞれのポジションの役割とか、求められるものを具体的に、総合的に見ることができるようになってきた気がします。でもまだまだ勉強中。


気がつけばbibiの先輩たちはそれぞれの事情で巣立って行き😢、自然とリーダー的なポジションについていました。

もともとリーダーは得意ではありません。

人のサポートとかそういうのの方が向いてるんだわたしゃ。

でもこれも何かのご縁です、後輩もいますし、引き込んだ友達もいます。

なんとか団体としての知名度を上げるために、えのもと作品やるために頑張るぞ!



ということでyoutubeやファンクラブを開設したりしてこちょこちょしてた自粛期間でした!




文字にして振り返ってみると、いろいろ思うことはありますが、でもここまで続けてこられたのは、書ききれないほどのご縁があって、それぞれで本当にお世話になってきたからなのです。

なんて拙くて頼りない自分なんだとため息が出てしまいますが、

とにかく成長して、お世話になってきた方々に絶対に恩返しがしたい、その思いでいっぱいです。



そしてこの間ずっと応援してきてくださったファンの方へ、今後もいい作品を沢山お届けしたい。その応援にどれだけ過去助けて頂いてきたか。やっぱり恩返しがしたいです。




ここまでが、『現在の私だ!全然まだまだ納得いかへんわ!期』



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なんやかんや、子供の頃から変わらず、

ずーっと演劇が大好きな人生です。

紆余曲折してきましたが、

ありがたいことに30過ぎてまで続けさせてもらえています。



コロナのように、突然よくわからない壁にぶちあたったりしますが、これもきっと必要なんだろうと、過去の出来事を振り返ると思います。

その時その時ぶちあたった瞬間はよく意味のわからなかった壁に、過去はずっと、一応、その時の私なりには、一生懸命でした。(本当に何やってたんやろって時期がありすぎる)笑

結果、絶対に意味があって、頑張ってよかったのだから。





これからもやらせていただける限りは、頑張って行きたいと思います。

ポヤポヤしとらんと、貪欲に。




次回は高橋茉琴伝プライベート編になりますが、こちらはあまりにもプライベートなので有料記事にしてみようかなと思っています✏️

読まなくても十分ここで語ったので全然大丈夫、自分のための振り返りも含めて、書こうと思います😁




ここまでお読みいただきありがとうございました🌷








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