[メモ]エマオ証言(8)十二人目の使徒

さて、ここまで、以下のことを確認した。

・エマオの二人のうち、クレオパと共にいた明示されない使徒がシモン・ペテロであること。これが女性たちに対する顕現を除く第一の顕現であること(ルカ、ヨハネ)

・その日の終わりに、イスカリオテ・ユダとディディモ・トマスを除く十人の使徒とクレオパに現れたこと、これを第一の顕現に含むこと。(マルコ、ルカ、ヨハネ)

・八日目に、同じ場所でトマスらに現れて、存命の十一使徒全員への顕現が果たされたこと。これが第二の顕現であること。(ヨハネ)

・しばらくして、ガリラヤで七人の弟子に現れたこと。そのうち五人は使徒であり、二人は匿名であること。これが第三の顕現であること。(ヨハネ)

・その後、ガリラヤのどこかの山の上で五百人の弟子たちに同時に顕現したこと。(マタイ)

・その後、エルサレム近郊で主の兄弟ヤコブに現れ(パウロ、ヘブライ人福音書)、七十門徒全員への顕現を果たし、ベタニヤで昇天したこと。(パウロ、ルカ)

さて、パウロ証言を復習しよう。彼はこれらの出来事をこう述べていた。

"ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。"コリント人への第一の手紙 15:5-8

さて、イエスの十二使徒が特別の立場にあったことは当時異論のないことであり、十二人、といえば十二使徒を普通指す。しかし、復活後しばらくの間、使徒には欠員があったことが明らかである。イスカリオテ・ユダが復活前に死んでいるためである。

時系列を確認すると、イエスは復活の日にユダとトマスを除く十人の使徒に現れており、その使徒のうち最初に現れたのはエマオ途上のシモン・ペテロであり。また、残るトマスには八日目に現れている。つまり八日目までに存命の十一人使徒への顕現を果たしている。ヨハネが証言するティベリアス湖畔での三度目の顕現は、二人の匿名の弟子がいるが、他の五人は全員使徒であり、マタイの証言する山上での顕現まで十一使徒以外の他の弟子たちに現れていない可能性も十分にある。

ただし、特異点のようになっている人物が一人いる。エマオ途上の顕現の証言者クレオパである。

クレオパは存命の十一使徒のうちの十人より先にイエスの復活を目撃しており、パウロが述べる「まずケファに現れた」という言明を保証する、本人を除く第一の証言者となっている。

つまりは、パウロが1コリントで述べる「十二人」とは、十一使徒 + クレオパなのである。

クレオパとは何者なのか、ここで考えてみよう。と、その前に、当時のヘブライ人の名前のあり方について簡単に見てみよう。

シモン・ペテロの名前はどうなっているだろうか。聖書中に出てくるシモン・ペテロの呼称は、シモン、バルヨナ(マタイ16:17)、ペテロ、シメオン(使徒15:14)、ケファ(ヨハネ1:42)である。

これらの呼称それぞれを一つずつ見ていくと、こうなっている

・シメオン→おそらくこれが彼の本名。ヘブライ語の名前。同名の人物が多すぎるため他の呼称を付して区別する必要がある。

・シモン(シモーン)→ギリシア語の通名。ヘレニズム期のユダヤ人はヘブライ語系の名前の他にギリシア語系の名前を持っていたらしい。サウル(ヘブライ名)=パウロ(ギリシア名)のように発音の感じか似ているものが採用されることも、ユダ(ヘブライ名)=タダイ(ギリシア名テオドシオスのアラム語転化)のようにあまり似ていないものが採用されることもあるらしい。

・バルヨナ→父称による呼称。アラム語。「ヨナの子」などと訳されることもあり、父の名を添えることで同名の人物と区別することがある。この例の他に、父の名それ自体で子を呼ぶこともある。大祭司カヤパなどがその例で、カヤパは歴史記録を見ると本名ヨセフであるが、一貫して父の名カヤパで呼ばれている。また、趣旨がズレるが、本名自体も祖父の名、父の名を継がせる例が多いようである。人々は洗礼者ヨハネに父の名をとってザカリヤと名付けようとした。(ルカ1:59)

・ケファ→あだ名。アラム語系。シモン・ペテロのあだ名はイエスに名付けられたもので、「岩」の意。

・ペテロ→あだ名のギリシア語訳。「岩」の意。アラム語のあだ名「岩」をギリシア語に訳したあだ名。

というわけで、同一人物がこのように何種類も名前を持つことは多かった。

さて、クレオパ(Κλεοπα)は聖書中で一度、ルカの福音書のみで登場するが、多くの伝承が彼をヨハネの福音書に名前だけ登場するクロパ(Κλωπα)と同一視している。これはシメオン(Συμεον)→シモン(Συμων)の母音変化と同じパターンであり、音だけで言えば同一視する十分な尤もらしさがある。ルカの記す「クレオパ」とヨハネの記す「クロパ」は両方とも「クレオパトロス」というギリシア名の省略形である。

2世紀の教会史家ヘゲシッポスによれば(http://www.earlychristianwritings.com/text/hegesippus.html )、このクロパはイエスの養父ヨセフの兄弟であり、第二代エルサレム総主教シメオンの父であるとされる。(ヘゲシッポスの記録は教会史に関する記録の中ではかなり古く、イエスの親族の子孫から話を聞ける立場にあったため、比較的信憑性の高いものである。ただし4世紀のエウゼビオスによる引用くらいでしか残っていない。)

またヨハネの福音では「イエスの母の姉妹、クロパの妻マリア」という形で登場しており、「クロパの妻マリア=イエスの母マリアの姉妹」と読むこともできるし、二人は別々に列挙されてるとも読める。

ヨセフとクロパが兄弟で、二人のマリアが姉妹だとすると、ルカの福音書のイエスの系図に出てくるヨセフの父エリには男子がなく、二人のマリアが嗣業を受けて、おそらく親戚であるヤコブの二人の子、ヨセフとクロパがそれぞれのマリアを娶った、ということになりそうである。

"イエスが宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳の時であって、人々の考えによれば、ヨセフの子であった。ヨセフはヘリの子、それから、さかのぼって、マタテ、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、"ルカによる福音書 3:23-24
"エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった。"マタイによる福音書 1:15-16

カトリック教会では、このヨセフの兄弟クロパは「アルファイの子ヤコブ」の父と同一視され、クロパの妻が「小ヤコブとヨセの母マリア」と同一視され、小ヤコブとアルファイの子ヤコブが主の兄弟ヤコブと同一視される。

エマオ証言(6)のノート(https://note.mu/makojosiah/n/nb76d6357f47f )で主の兄弟ヤコブと使徒アルファイの子ヤコブを同一視することは断念しているので、カトリックの伝統的見解には今刃向かうことになってしまっているが、これに関するカトリックの伝承には顧慮すべき点もある。それはアルファイとクロパの同一視に言語的な正当性があるというところである。

日本語ではこの二つの名はずいぶん違って聞こえるが、アルファイ(Ἁλφαιος)はラテン文字に音写するとHalphaiosであり、クロパ(Κλωπας)はラテン文字に音写するとChlōpasであり、HとChは両方ともヘブライ文字「ח」の音写で使われる。ギリシア名のクロパがアラム語に入ると「חלפי」(≒ヒルファイ)となることは十分にあることであり、そのアラム読みをもう一度新約聖書に記すにあたってギリシア音写するとハルファイオスとなると思われる。これは先に述べたように「(ギリシア名)テオドシウス」→「(アラム読み)トダイ」→「(ギリシア音写)タッダイオス」と同じパターンである。

さて、アルファイの子として新約聖書に出てくる人物は、アルファイの子ヤコブの他にもう一人いる。それは「アルファイの子レビ」であり、共観福音書の使徒のリストから、彼は「取税人マタイ」と同一視されている。

しかしこの同一視には疑義が持たれることも多い。なぜなら、ここまで見たように、ヘブライ人は自分の名前としてヘブライ名、ギリシア通名、ギリシア通名のアラム語読みと各言語のあだ名を持つことがありうるが、レビもマタイもありふれたヘブライ名であり、どちらかがあだ名であったとしても区別のための用をなさないものであるため、困難な比定とされるのである。

さてここまでのことを確認しよう。

・クレオパは十使徒に先立つ復活の証言者となっており、1コリントでパウロに「十二人」と括られている証人のうちの一人である。

・クレオパと伝承によるイエスの叔父クロパは同一視されることが多い。

・クロパとアルファイという名はギリシア名とそのアラム語読みであり、クレオパのヘブライ名は明かされていない。

・アルファイの子レビはマタイと比定するしかないが、このありふれたヘブライ名を二つ持つことは不自然さがある。

実は、これらの要素を全て調和的に繋げる解釈ができる。それは

クレオパ(クロパ、ギリシア名)は十二使徒レビの父アルファイ(ギリシア名のアラム語転化)であり、十二人目の使徒マッテヤ(ヘブライ名)である。

というものである。パウロが「ケファに現れ、次に十二人に現れ」と言っているなかで唯一、復活当時に使徒でないのがクレオパであるが、パウロ書簡当時はイスカリオテ・ユダの欠員を補ったもう一人の使徒について既に知られており、パウロが執筆を指導したとされるルカ文書・使徒行伝で報告されている。それによれば十二人目の使徒は「マッテヤΜατθιας」であった。

同じ人物の複数の名として、ヘブライ名、ギリシア通名、ギリシア通名のアラム語転化、各言語でのあだ名の他に、もう一つ挙げた例がある。それは父称による呼称である。先述の通り、「バルヨナ」などは父称であることが明白である呼称であるが、「カヤパ」など父の名をそのままあてる例がある。「マタイΜατθαιος」と「マッテヤΜατθιας」はどちらも「マトティヤフמתתיהו」というヘブライ名の別の省略形であり、基本的には同じ名前であり、マタイがマッテヤの子で父の名を以て呼ばれた可能性がある。

すると

・マッテヤ(ヘブライ名)

・クロパ/クレオパ(ギリシア名)

・アルファイ(ギリシア名のアラム語転化)

という三つの呼称を持つ人物がまずいて、その子どもが

・アルファイの子レビ(ヘブライ名)

・マタイ(父称による呼称)

という二つの呼称を持つ人物であると考えることができる。


さて、エマオではイエスが旧約聖書全体から自分について解説したとされる。

"こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。"ルカによる福音書 24:27

キリスト教徒の多くが、「この解説をぜひ聞きたい」と思ったことだろう。

エマオの証言者の一人シモン・ペテロは、主に三種類の方法でその教えを我々に残している。一つは彼自身の書簡を通して、一つはパウロとパウロを介したルカ文書を通して、一つは福音記者マルコを通してである。それでエマオの顕現についてはマルコの福音書とルカの福音書が記録している。

ではクレオパの証言は、誰を通して残されただろうか。それはおそらく、彼の子、福音記者マタイによって残されたのであろう。マタイは旧約聖書を引用しながら、預言がイエス・キリストを指し示すことを何度も強調しているのである。エマオの説教は失われた説教ではない。私たちはマタイの福音書を通してイエス自身の解き明かしを聞くことができるのである。



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