『教会史』第2巻 序文・第1章 キリストの昇天の後に使徒たちが辿った道について(エウセビオス)

http://www.newadvent.org/fathers/250102.htm


序文

1節
前巻において、導入として扱う必要のある教会史における諸々の議題について議論し、短い諸々の証拠をそれらに付した。つまり、救いの言葉の神性、我々が教えている諸々の教えが古くからあること、そしてキリスト者によって送られている福音的な生と、最近のキリストの出現に関わって起こった諸々の出来事、また彼の受難と使徒たちの選出に関わって[起こった諸々の出来事]について、である。

2節
この巻においては、彼の昇天の後に起こった諸々の出来事を検証しよう。それらのうちのあるものは神的な聖書群によって、他のものはその時々ごと言及するであろう諸々の著作によって[検証しよう]。


第1章 キリストの昇天の後に使徒たちが辿った道について


1節
それで、まず、背信者ユダの代わりに、マッテヤが使徒に選出された。[マッテヤ]は七十人の一人でもあったと示されてきた。そしてステファノス[ステファノ]を含む七人の認められた人々が、会衆への奉仕のために、祈りによって、また使徒たちの手を置くことによって、執事に任命された。[ステファノ]は主の後に最初に、主を殺害した者たちによって石打ちにされて死んだ。それは[ステファノが執事に]任命された頃のことであり、あたかもまさにこの目的のために職位を得たかのようである。それで彼は彼の名に合致する冠[(Στεφανοςは冠の意)]を受ける最初の者となった。[この冠]はキリストの殉教者、つまり勝利の報酬に相応しい者たちに属するものである。

2節
それからヤコブが、最初にエルサレム教会の主教となったと記録されている。彼について古代の者たちは彼の徳の卓越のために「義人 [ユスト] 」という異名を付けた。このヤコブは、主の兄弟と呼ばれる。これは彼がヨセフの子として知られていたためである。ヨセフはキリストの父であると思われていた。聖なる諸々の福音書が示すように、彼と婚約していた かの処女が、彼らが一緒になる前に[マタイ 1:18]、聖霊によって子を孕んだためである。

3節
しかし[アレクサンドリアの]クレメンスが彼の「諸梗概[Hypotyposes]」の第六書においてこのように書いている。…というのも、我らの救助者の昇天の後で、ペテロとヤコブとヨハネは、義人ヤコブをエルサレムの主教に選出した、と言われているのである。彼らは[主教となる]名誉を争うことをしなかったが、それはあたかも[その選出]が我らの主も好ましく思うかのようであった。

4節
しかし同じ著者は、同じ著作の第七書において、彼に関して以下の諸々のことをも語っている。…主は彼の復活の後で義人ヤコブ [ヤコブ・ユスト] と、ヨハネとペテロへ知識を分与し、彼らはそれを残りの使徒たちへと分与し、残りの使徒たちは七十人へと[分与した]。[七十人]の一人にはバルナバがいる。しかしヤコブという者たちは二人いる。一人は義人と呼ばれる者で、神殿の高台から投げ落とされ、棍棒で叩かれることによって打たれ死んだ者であり、もう一人は打ち首にされた者である。パウロもこの同じ義人ヤコブについてこのように書いて言及している。…私は、ただ主の兄弟ヤコブを除いては、他の使徒たちの誰にも会わなかった。[ガラテヤ 1:19]

5節
その頃、我らの救助者の、オスロエネの王[エデッサの王]への約束も成就した。というのもトマスが、神的な誘発のもとに、宣教者、またキリストの信仰の福音伝道者として、タッダイをエデッサへ遣わしたのである。少し前に、[エデッサ]で見つかっている文書から示したごとくである。

7節
[タッダイ]がその場所へ来ると、彼はキリストの言葉によってアブガルを癒やした。そしてそこの全ての人々を、彼の諸々の業を用いて正しい心の態度へと変化させ、キリストの力を熱愛するよう導いた後に、彼は彼らを救い手の教えの弟子とした。そしてその時代から現在に至るまでエデッサの全市はキリストの名へと捧げられており、彼らに対する我らの救助者による恩恵の非凡な証拠をも提供しているのである。

8節
これらのことは古代の諸々の報告から引用されたものである。しかしここで神的な書へと再度向き直ろう。ユダヤ人によって、ステファノの殉教に関連している最初で最大のエルサレム教会に対する迫害が引き起こされた際、そして十二人以外の全ての弟子たちがユダヤとサマリアに渡って散らされた際、神的な書が言うように、ある者たちはフェニキアやキプロスやアンティオケアにまで行った。しかしまだ敢えて信仰の言葉を[異邦の]国々に分与することはできず、それゆえそれをユダヤ人のみに宣教していた。

9節
この時代の間、パウロはまだ教会を迫害しており、信者たちの家々に入っては男女らを引きずり出して彼らを牢獄に引き渡していた。

10節
ステファノと共に執事[職]を委託されていた者たちの一人であるフィリッポス[フィリポ]も、国外へ散らされた者たちのうちにあって、サマリアへ下って行った。そして神的な力に満たされて、彼は最初にその国の住民たちへと[福音の]言葉を宣教した。そして神的な恩寵が力強く彼と共に働いたので、魔術師シモンでさえ多くの他の者たちと共に[フィリポ]の諸々の言葉に引きつけられた。

11節
シモンはその時代にあって高名であり、またその奇術によって彼に欺かれた者たちに対する影響力を得ていたので、彼は偉大な神の力[を持っている]と考えられていた。しかしこの時、フィリポによって為された驚くべき諸々の行いに驚かされて、[シモン]はキリストへの信仰を装い、そのふりをして、洗礼を受けるまでにさえ至った。

12節
そして驚くことに、今日に至るまで、同じことが彼[に属する]最も不純な異端に追随する者たちによって為されている。というのも彼らは、彼らの祖の方法に倣って、教会に紛れ込み、感染[病]や癩病のように、自分たちの内に隠した致命的で酷い毒で、汚染可能な者たちを大いに悩ませているのである。これらの大半は彼らの悪意について見つかればすぐに追放されてきた。シモン自身が、ペテロに検知された際、相応しい刑罰を受けたごとくである。

13節
しかし救助者の福音の宣教は日々前進しており、とある摂理によってエチオピア人の地からその国の女王[に仕える]高官が導かれた。というのもエチオピアは今日に至るまで先祖の慣習に従って女性によって統治されているのである。彼は異邦人たちのうちで最初に、神的な言葉の諸々の神秘を、フィリポから受けた。それは啓示の結果である。彼は世界に渡っての信者たちの最初の実りとなって、彼の国に戻って宇宙の神と、我らの救助者の、人々のうちでの生命を与える滞在について公言した最初の者となったと言われている。それで真実に彼を通してかの預言がその成就を得た。つまり、エチオピアが彼女の手を神へと伸ばす[詩編 68:31]、と宣言するものである。

14節
これらに加えて、選ばれた器であるパウロ[使徒 9:15]は、人々によってでも人々を通してでもなく、イエス・キリスト自身と、彼を死者のうちから復活させた御父なる神[ガラテヤ 1:1]の啓示によって、使徒に任命された。幻と、天からの啓示の内で発された声によって、その召命に相応しい者となされたのである。

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