[メモ]主の兄弟(1)バルサバの系統

https://note.mu/makojosiah/n/n0bea90ffb3d6

上記メモでは、「アリマタヤのヨセフ」=「イエスの養父ヨセフ」=「バルサバ・ヨセフ・ユスト」という比定をした後で、さらにタルムードに登場するラビ・アキバの岳父ベン・カルバ・サヴァをバルサバ・ヨセフと比定できる可能性について述べた。

しかし冷静に考えてみると、イエスの養父はイエスやほかの大部分の使徒たちより前の世代の人物であるため、エルサレム陥落の頃にエルサレムで活躍し、娘がラビ・アキバと結婚した大富豪ベン・カルバ・サヴァと同一視するのはほぼ不可能であった。

ラビ・アキバの生年はおよそAD 50とされており、彼がカルバ・サヴァの娘と結婚するのは40歳の頃なのでAD 90頃となり、イエスの養父ヨセフが30歳程度で子を生んだとすればこの頃生きてても120歳である。とても娘を嫁がせるだのする年齢とは言えない。

というわけで、ベン・カルバ・サヴァ(犬を富ます子)とイエスの法的父バルサバ(富ます子)・ヨセフを同一視する説は棄却することにする。

さて、アリマタヤのヨセフ=イエスの法的父ヨセフ=バルサバ・ヨセフ・ユストという比定の方は崩さずに話を進める。

ほかのメモでも述べているように、「ユスト Justus」はギリシア語では「ディカイオス δικαιος」であり、ヘブライ語では「ツァディーク צדיק」であり、ツァディークは福音書中でも歴史記録でも祭司に使われている例が多い称号であることから、ツァドクの子孫、祭司であることを示す称号でもあるという仮説がありうる。

伝承では主の兄弟ヤコブはヤコブ・ユストと呼ばれたとされるが、イエスの法的父ヨセフがバルサバ・ヨセフ・ユストであるとすると、ヤコブ・ユストのユストの称号は父から継いだものである可能性がある。

そのように考えると、ヤコブの地位、つまりエルサレム教会の首長の地位も、十二使徒候補バルサバ・ヨセフ・ユストから得たものである可能性がある。このように考えた場合、ヨセフの没年がだいたい予測できる。つまりヤコブが教会の首長としての地位を確立している頃には父ヨセフは死んでユストの称号もエルサレム教会の指導者の地位をヤコブに継承しているということになる。この継承を仮定した方が、十二使徒でもなく福音書にもほとんど登場しないヤコブに突然エルサレム教会の監督職という、どう考えても当時ローマ主教より重要と思われる地位を渡されていることの合理的な説明にもなっている。そのヤコブがエルサレム教会のリーダーとして登場するのは、ヘロデ・アグリッパの迫害の頃である。

"ペテロは手を振って彼らを静め、主が獄から彼を連れ出して下さった次第を説明し、「このことを、ヤコブやほかの兄弟たちに伝えて下さい」と言い残して、どこかほかの所へ出て行った。 "使徒行伝 12:17

これはゼベダイの子ヤコブの殉教の直後であるため、このヤコブはゼベダイの子ではあり得ず、主の兄弟ヤコブと思われる。この直後がヘロデ・アグリッパの死去の記事であり、歴史学的にはそれがAD 44年のこととなる。

つまりバルサバ・ヨセフ・ユストはこの頃までに死んで、血統的長子ヤコブに監督職が渡っていたと思われる。

ところで、バルサバ・ヨセフ・ユストの後継者は、なぜバルサバ・ヤコブ・ユストとはならず、ヤコブ・ユストとなったのだろうか。上記メモの仮説では、バルサバは父称ではなく属性による称号であり、しかも財力に関するものであると思われるため、子に継承されうる称号である。

バルサバの称号はどこへ行ったのか。ここで思い出すのが、もう一人のバルサバの存在である。

"そこで、使徒たちや長老たちは、全教会と協議した末、お互の中から人々を選んで、パウロやバルナバと共に、アンテオケに派遣することに決めた。選ばれたのは、バルサバというユダとシラスとであったが、いずれも兄弟たちの間で重んじられていた人たちであった。 "使徒行伝 15:22

バルサバ・ユダなる人物が、シラスを連れて使徒会議の決議をアンティオケアに知らせる役割を負っている。これはAD 50頃のことであり、上述のストーリーが正しければ、すでにバルサバ・ヨセフは死んでいる。

と、ここで、主の兄弟ヤコブにユダという弟がいたことも思い出せる。

"この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。 "マタイによる福音書 13:55

"イエス・キリストの僕またヤコブの兄弟であるユダから、父なる神に愛され、イエス・キリストに守られている召された人々へ。 "ユダの手紙 1:1

何が言いたいかといえば、紀元30年代にエルサレム教会の最初の首長となった十二使徒候補バルサバ・ヨセフ・ユストが紀元40年頃に亡くなって、二人の息子ヤコブとユダにそれぞれユストとバルサバの称号が継承された、というストーリーがありえるのでは、ということである。

それで、AD 44までには主の兄弟ヤコブがエルサレム教会の指導者No.1の地位となり、その弟バルサバ・ユダは「指導的地位の一人」として、シラスより先に名が挙げられる地位にあったのだろう。

またバルサバ・ユダは預言者であったとされ、それがユダ書簡の独特な気風にも現れているように思われる。

ユストの称号だけでなくバルサバの称号も継承されたかも、というところで話を戻すと、ベン・カルバ・サヴァとバルサバ・ユダの子孫の同一視の可能性が再び浮上する。

実は主の兄弟ユダの曾孫ユダ(https://en.m.wikipedia.org/wiki/Judah_Kyriakos )がラビ・アキバの死去するバル・コクバの乱(-AD 136)の頃にエルサレムで主教職にあり、その後も存命であったとされている。すると単純には、この人物はラビ・アキバの次世代であり、このユダの父がラビ・アキバと同世代、すなわちラビ・アキバの妻ラケルと同世代であり、このユダの祖父、つまり主の兄弟ユダの子が、ラビ・アキバの岳父と同世代ということになる。

ベン・カルバ・サヴァと使徒行伝のバルサバに繋がりを見出すとすれば、カルバ・サヴァと主の兄弟バルサバ・ユダの子との同一視が一番あり得る話となる。ユダの子はお決まりのパターンだと父の名をとってヨセフかもしれない。その場合、ラビ・アキバがアキバ・ベン・ヨセフ(ヨセフの子アキバ)と呼ばれるのは岳父の名が使われている可能性もある。

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