『教会史』第2巻 第17章 エジプトの修道者たちについてのフィロンの報告

http://www.newadvent.org/fathers/250102.htm

http://remacle.org/bloodwolf/historiens/eusebe/histoire2.htm#XVIII


第17章 エジプトの修道者たちについてのフィロンの報告


1節
また[アレクサンドリアの]フィロンはクラウディウスの統治[下]においてローマで、そこで宣教していたペテロと知り合ったと言われる。確かにこれはありうることである。というのも我々の話した、彼によって何年か後に著されたその著作は、明白に我々の間で今日に至るまで遵守されている教会の諸々の規則についてを含んでいるのである。

2節
そして彼は我々の修道者たちの生活をできる限り正確に描いているので、彼がその時代の使徒的な人々を知っていただけではなく、崇敬も激賞もしつつ認めてもいたことは明白である。彼らはヘブライ人種と思われ、それゆえユダヤ人の様式に従って、諸々の古代の慣習を遵守したのである。

3節
彼が「瞑想的生活、あるいは求道者たちについて[On a Contemplative Life or on Suppliants]」と題した著作において、まず最初のところで自分が語ろうとしている諸々のことに何も真実に反することや自分自身の創作を加えないということを断言した後で、彼はこれらの男たちはテラペウタエ[Therapeutæ]と呼ばれ、彼らと共にいた女たちはテラペウトリデス[Therapeutrides]と[呼ばれ]たと言っている。それから彼はそのような名の諸々の由来を加え、彼らが諸々の薬を用い、彼らのところに来た者たちの魂を、医者たちのように悪しき諸々の熱情を和らげることによって癒したということから、あるいは純粋に誠実に神格に仕え崇拝したということから、説明している。

4節
フィロン自身が彼らの生活様式に良く適合する形容語を採ってこの名を彼らに与えたのか、それか「キリスト者」の名がまだどこでも知られているので無かったために彼らのうちの最初の者たちが始めにそう自分たちを呼んだのか、については、ここで議論する必要はない。

5節
しかし[フィロン]は、まず最初に彼らは自分たちの財産を放棄したということを証言している。[フィロン]が言うには、彼らは哲学的な生活様式を始める際、自分たちの諸々の持ち物を彼らの親族たちに渡し、それから生活の全ての保護を[受けることを]放棄し、諸々の壁を越えて進み、寂寥とした諸々の土地と諸々の耕地に住まう。それは違った性格の人々と交流することが無益であり有害であると知ってのことである。彼らはこれをおそらくは熱心で熱烈な信仰の影響力のもとに、その時に為し、預言者たちの生活様式を見習って実行するのである。

6節
というのも普遍的に真正のものと認められている著作である使徒行伝において、使徒たちの全ての同行者たちは自分たちの諸々の所有と自分たちの財産を売って、それぞれの必要に応じて全ての者たちに分配し、彼らのうちの誰も困窮のうちに無いようにしたと記録されているのである。というのもその報告が言うように、諸々の土地や家の所有者であった多くの者たちは皆、それらを売って、その諸物の代価を使徒たちの足もとに運んで広げ、それぞれの人についてそれぞれが持つ必要に応じた分配がなされるようにしたのである。[使徒 2:45]

7節
フィロンはここで描写されているそれらのことと非常によく似た諸々の事実について証言し、それから以下の報告を加えている。…この人種は世界のどこでも見出される。というのもこのことはギリシア人と異国人の両方は、何が完全な善であるかについて共有しているはずである、ということに沿うのである。しかしその人種は特にエジプトにおいて、それぞれのいわゆるノモス[(行政区)]において溢れており、そして特にアレクサンドリア周辺に[そうであった]。

8節
その極めて善き人々は、あたかもテラペウタエの祖国の植民地であるかのような、[その]ある場所に四方から移住した。そこはマリア湖の上にある、低い丘に面したところにあり、その安全性と大気の温暖さにおいて卓越した状態にある[場所]であった。

9節
そしてそれから少し続けて、彼らの持つ家々の種類を描写した後で、彼はここそこに散らばっている彼らの諸教会に関して以下のように話している。…それぞれの家には聖所と修道所と呼ばれる神聖な部屋がある。そこで彼らは、たった一人で、宗教的生活の諸々の神秘を実行さる。彼らはそこに飲み物も食べ物も、いかなる体の諸々の必要に寄与する他の諸物も何も持ち込まず、ただ諸々の法と、預言者たちの霊感された諸々の託宣と、諸々の賛美と、そういった彼らの知識と敬虔を引き上げ、完全にするような他の諸物のみ[持ち込んだ]。

10節
そしていくつかの他の諸々の話題の後で[フィロン]は言っている。
…朝から夕までの間全体は、彼らにとって訓練の時である。というのも彼らは聖書群を読み、彼らの父祖たちの哲学を寓意的方法において解説するのである。つまり、書かれた諸々の言葉を、曖昧な諸々の姿で伝えられている隠された真実の諸々の象徴と見なすのである。

11節
彼らは、自分たちの派閥の創設者たちとなり、その寓意的な方法論の多くの記念碑を残した、古代の人々の諸々の著作も持っている。彼らはそれらを諸々の型として用いて、それらの諸々の原理を真似しているのである。

12節
[フィロンの言う]これらのことは、彼らが、自分たちの神聖な諸々の著作を詳説しているのを聞いたある人によって述べられたようである。しかしその、彼らが持っていたと[フィロン]が言っている、古代の者たちの諸著作は、諸々の福音書と、使徒たちの諸著作、そしておそらく、ヘブライ人への書簡と他の多くのパウロの書簡に含まれるような、古代の預言者たち[の書]の解説である可能性が高い。

13節
それでまた[フィロン]は、彼らが作成した新しい諸々の詩歌に関して以下のように記している。…それで彼らは、自分たちの時間を瞑想に費やすのみならず、あらゆる多様な拍子や旋律において神への諸々の歌と賛美を作成することもしている。それらを非常に荘厳なものへと編成したことは必然である。

14節
同じ書は多くの他のことについての報告を含むが、教会的な生活様式の諸々の特徴を示す諸々の事実を選ぶことが必要と思われた.

15節
しかし誰か、[ここまで]言われたことが福音の政体に特異的ではなく、それが言及された者たちの他の者たちにも適用できると思う者があるならば、同じ著者の続く諸々の言葉によって納得させられるように。そこで[その者]は、偏見がなければ、この議題についての異議のない証明を見出すであろう。フィロンの諸々の言葉は以下である…

16節
魂におけるある種の基礎として禁酒を課して、彼らはその上に他の諸々の徳を建てる。彼らの誰も食べ物や飲み物を日没の前に取ることはできないが、それは彼らが哲学的思索を光に値する業と見なしているが、体の諸々の欠乏への注意を闇においてのみ適切なものと[見なしている]ためである。そしてそれゆえ彼らは前者に昼を割り当てるが、後者には夜の短い一部を[割り当てる]。

17節
しかしある者は、そのうちに知識への大いなる熱望が住まい、三日の間食べ物を取ることを忘れる。またある者は、知恵について非常に喜び、また[知恵を]非常に贅沢に饗するために、この二倍の長さまでも[食を]慎むほどである。[知恵は]諸々の教義を豊かにまた惜しみなく供給するのである。そして六日後にかろうじて必要な食物を取るのが慣習となっている。フィロンのこれらの言明を、我々は明白に、議論の余地なく、我らの聖餐について言及しているものと見なす。

18節
しかしこれらのことの後でまだ誰かが頑なにこの言及を否定し続けるならば、その者はなおいっそう著しい諸々の例によって、自分の疑り深さを放棄し、納得させられるように。[この例は]キリスト者たちの福音的な宗教においてより他にどこにも見いだされないものである。

19節
というのもこう言われているのである。[すなわち、]我々が話しているところの者たちと共に女たちもおり、そのうちの大半は貞節を維持した、年を経た処女たちであり、それはギリシア人たちの間の女司祭たちのある者たちのように必要性から[そうしている]のではなく、むしろ彼女ら自身の選択によって、知恵に対する熱情と熱望から[そうしている]のである。そして彼女たちの極めて熱心な、[知恵]を彼女らの伴侶として共に生きることへの熱望で、彼女らは体の諸々の快楽に注意を払うことなく、死すべき[子孫]でなく不死の子孫、すなわち敬虔な魂だけが自身に抱くことのできるもの、を求めているのである。

20節
それで少し後でまだ彼はより際立っ[たこと]を加える。...彼らは諸々の寓意の手段によって神聖な諸々の書を比喩的に解説する。というのもこれらの人々には律法全体が生きた有機体に似ているように見えており、話された諸々の言葉がその[有機体の][肉]体の構成し、諸々の言葉のうちに蓄えられた隠された意味がその[有機体の]魂を構成する[ように見えている]のである。この隠された意味はまずこの派閥によって特に研究された。[この派閥は]鏡に映った諸々の名を見るように啓示された、諸々の思考の卓越した美しさを[見ている]のである。

21節
これらのことに、彼らの諸々の会合や、それらの会合の間の男たちや女たちの諸々の職務それぞれについて、また今日に至ってさえ習慣的に我々に遵守されている諸々の実践について、特に例えば我々が救助者の受難の祭で、断食と夜の番と神の言葉の研究と共に遵守する慣習となっていることなどについて、付け足す必要はないだろう。

22節
これらのことを上述の著者が彼自身の著作において語ったが、[そこで]我々だけによって現在まで維持されてきた生活様式を示唆している。特に大いなる祭典と関連して守られている寝ずの番のこと、そしてこれらの寝ずの番の間に行われる諸々の動き、そして我々によって慣習的に朗誦される諸々の賛美について記録し、時間ごと定期的に一人が歌っている間、ほかの者たちは静かに聞き、諸々の賛美の締めだけ詠唱に加わるという様子について描いている。そして言及されているその[祭りの]日々には彼らは地面の上に、藁の寝床の上に眠り、彼自身の諸々の言葉を用いれば、酒を全く飲むこともなく、どんな肉も[食べず]、水だけが彼らが唯一飲むものであり、彼らのパンの付け合わせは塩とヒソプであった。

23節
これに加えてフィロンは教会の諸々の勤めを実行する者たちの間に存在する位階体制を描いており、助祭[diaconate]と、全ての他の者たちの上に優先を得る司教[bishop]の職に言及している。しかしこれらの論題についてより正確な知識を熱望する者たちは誰でも、既に引用された歴史[書]からそれを得ることができる。

24節
しかしあらゆる者にとって以下は明白である。すなわちフィロンは、これらのことを書いた際に、福音の第一の布告者たちと、使徒たちによって始まりから継承された諸々の習慣について考慮していたのである。

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