[メモ]エマオ証言(5)全ての使徒への顕現と昇天

パウロ証言(1コリント15章)の「全ての使徒への顕現」は、通常の感覚からすると、すでに十一使徒に現れた時点で達されており、蛇足に聞こえる。

しかし実はイエスの使徒は十二使徒に限られていない。最も有名な十二使徒に含まれない使徒はパウロである。パウロはイエスの昇天後の弟子であるが、イエスの顕現により直接の派遣(アポステロー)を受けているため、明確な使徒(アポストロス)である。この考え方はパウロが指導したとされるルカ文書において最もよく現れており、聖霊の指示によって、使徒らの会議と按手を受けて送り出されたバルナバとサウロの両者をルカは使徒と呼んでいる。(使徒行伝13:2-4, 14:14)

さて、この考え方に立つと、ルカによる福音において証言されている「十二使徒以外のイエスの生前の使徒たち」の存在が浮かび上がる。それは「七十門徒」と呼ばれる人々である。

"その後、主は別に七十二人を選び、行こうとしておられたすべての町や村へ、ふたりずつ先におつかわしになった(ἀπέστειλεν)。"ルカによる福音書 10:1

ここで七十二人はイエスに派遣(アペステロー)されており、少なくともルカ文書とパウロ書簡においては、この七十二人は使徒(アペステローされた者 = アポストロス)に分類されることを多分に示唆している。

重要なことに、この七十門徒は、イエスが居住拠点をガリラヤからエルサレム近郊に移す頃に任命されており(ルカ9:51-10:1)、エルサレム近郊ないしユダヤ地方の人々も多かったと思われる。このため、五百人への顕現はガリラヤで起こったため、全ての七十門徒はそこに立ち会えた訳ではなく、しかし昇天前のベタニヤでの(?)会合においては十一使徒と七十門徒全てが集められた、と考えれば辻褄があう。特に、エルサレム近郊の者たちは地位の高い者もいたはずであり(例えばサンヘドリン議員ニコデモやアリマタヤのヨセフ)、彼らがガリラヤ山上での顕現に立ち会うことは難しかったかもしれない。ここではベタニヤでの会合と昇天(ルカ)と全ての使徒たちへの顕現(1コリント)を同じ場面と見なす。

さて順番が入れ違ってしまったが、残るは全ての使徒より前に起こった主の兄弟ヤコブへの顕現である。(つづく)

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