『教会史』第1巻 第12章 我らの救助者の弟子たちについて(エウセビオス)

http://www.newadvent.org/fathers/250101.htm

12章 我らの救助者の弟子たちについて

1節
我らの救助者の使徒たちの諸々の名については、福音書によってあらゆる者に知られている。しかし七十人の弟子たちの目録はそこに一つも存在しない。確かにバルナバス[バルナバ]は彼らのうちの一人であったと言われ、彼については使徒言行録が様々なところで言及をなし、そして特にパウロス[パウロ]が彼のガラテヤ人への書簡において[言及している]。

2節
パウロと共にコリント人へと書き送ったソステネス[ソステネ]もまた彼らのうちの一人と言われる。これは[アレクサンドリアの]クレメンスの『諸梗概[Hypotyposes]』の第五書における報告であり、そこで彼がまた言うには、使徒ペトロス[ペテロ]と同名の人であるケパが七十人の一人であり、彼に関してパウロが「ケパがアンティオケアに来た際に彼の面前で彼に抗議した」[ガラテヤ 2:11]と言っているとのことである。

3節
またユダの代わりに使徒と数えられたマッテヤと、彼と共に候補者と成されたことによって名誉を帰された者も、同様に七十人と同じ召命に値したと見なされてきた。またタッダイも彼らのうちの一人であると言われている。彼に関して、我らに伝わった報告を今叙述しよう。また、パウロの証言に従って、吟味すれば、[読者]は我らの救助者は七十人以上の弟子たちを持っていたことがわかるだろう。彼は以下のように言っている。すなわち、彼の死からの復活の後で、彼は第一にケパに出現し、それから十二人に、そして彼らの後で五百人の兄弟たちに一度に[出現した]のである。そのうちのある者たちは眠りに就いたが、大半は彼の記している時代まで生きていたのである。

4節
この後で彼はヤコブに出現したと言っている。彼はいわゆる救助者の兄弟の一人であった。しかしこれらに加えて、パウロ自身のように、十二人に倣って使徒と呼ばれた他の多くの者たちがいた。かれはこう加えている。「この後、彼は全ての使徒たちに出現した。」[1コリント 15:7] これらの人々に関しては十分である。しかしタッダイに関する物語は以下である。

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