[メモ]エマオ証言(1)パウロ証言について

"わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。"コリント人への第一の手紙 15:3-8

コリント書の著者パウロは、イエスの昇天後に天啓によってイエスの使徒となった。そのため、彼のイエス昇天以前に関する証言は全て他の直接的な証言者から「継承したもの」であり、パウロ自身もここでそのように宣言している。

伝承では、パウロは書簡の他に、ルカ文書の執筆を指導したとされる。それで、ルカ福音書の冒頭に同様の立場が示されている。

"わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、御言に仕えた人々が[私たちにημιν]伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。"ルカによる福音書 1:1-3

これは自分たちが直接的な証言者であることを宣言するペテロの手紙の著者やヨハネの手紙の著者と対照的である。

”わたしも、長老のひとりで、キリストの苦難についての証人であり、また、やがて現れようとする栄光にあずかる者である。”ペテロの手紙第一 5:2
”初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について— このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである— すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。”ヨハネの手紙第一1:1-3

パウロは1コリント書の15章で極めて重要な、継承された証言を述べており、その一つが「復活のイエスが誰にどのような順序で現れたか」についての情報である。さて、この証言をパウロが誰から継承したか、ということだが、パウロは自分の他の使徒との接点を敢えて使徒ペテロと主の兄弟ヤコブに限定して特筆しており、彼らがパウロ証言の主要な情報源となっていると思われる。

”ところが、母の胎内にある時からわたしを聖別し、み恵みをもってわたしをお召しになったかたが、異邦人の間に宣べ伝えさせるために、御子をわたしの内に啓示して下さった時、わたしは直ちに、血肉に相談もせず、また先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行った。それから再びダマスコに帰った。その後三年たってから、わたしはケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間、滞在した。しかし、主の兄弟ヤコブ以外には、ほかのどの使徒にも会わなかった。ここに書いていることは、神のみまえで言うが、決して偽りではない。”ガラテヤの信徒への手紙1:15-20

そして確かに、1コリント15章のパウロ証言において現れる個人証言者はケファとヤコブとパウロ自身の三人となっており、ケファとヤコブの間に十二使徒と五百人の門徒が挟まり、ヤコブとパウロの間に「全ての使徒」が挟まっている構造になっている。

さて、この一連の出来事を福音書の記述と合わせていくと何がわかるだろうか。つづく。







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