『教会史』第2巻 第23章 主の兄弟と呼ばれたヤコブの殉教について(エウセビオス)

http://www.newadvent.org/fathers/250102.htm

第23章 主の兄弟と呼ばれたヤコブの殉教について

1節

パウロが、そのカエサルへの上訴の結果としてフェストゥスによってローマに送られた後で、ユダヤ人たちは、彼に対して敷いた諸々の罠によって彼を計略にかける彼らの望みについて不満を持って、ヤコブに対して向き直った。[ヤコブ]はすなわち主の兄弟で、彼にはエルサレムにある監督座が使徒たちによって託されていた。次のような向こう見ずな諸々の手段が[ユダヤ人たち]によって[ヤコブ]に対して実行された。

2節

彼を彼らの真ん中に導いて、彼らは彼にキリストにある信仰を全ての民の前で放棄するように要求した。しかし、全ての者たちの考えに反し、明確な声と、彼らの予期したよりも優れた大胆さで、彼は全群衆の前で話し、我らの救助者で主であるキリストが神の子であることを告白した。しかし彼らはその人物の証言により長く耐えることはできず、結果的に彼らは彼を虐殺した。[ヤコブ]はその卓越した修道的徳性と彼がその生涯で示した敬虔さのために、全ての者たちによって最も義なる人物と見なされていたのであった。この暴力的行為の機会は[当時を]覆っていた無政府状態によって備えられたが、それは丁度フェストゥスがこの頃に死んで、それでこの地方は統治者や首長がなかったのである。

3節

ヤコブの死に方は既に上で引用したクレメンスの諸々の言葉によって示唆された。彼は彼が神殿の頂上から投げ出され、棍棒によって打ち殺されたと記録している。しかしヘゲシッポス、すなわち使徒たちの直ぐ後を生きた者は、彼の「回想録[Memoirs]」の第五書において最も精確な報告を与えている。彼は以下のように書いている。…

4節

ヤコブ、すなわち主の兄弟は、使徒たちと共同で教会の統治体を継承した。彼は我らの救助者の時代から現在に至るまで全ての者に義人[ユスト Just]と呼ばれてきた。というのも、ヤコブの名を持つ者は多くいたのである。

5節

彼は母の胎から聖なる者であった。彼はぶどう酒も強い酒も飲まず、肉も食べなかった。彼の頭には剃刀があてられなかった。彼は自身を油で塗油することなく、また浴場を用いることもなかった。

6節

彼だけが聖所に入ることを許可された。というのも彼は毛織のものでなく亜麻布の諸々の装束を着たのである。そして彼は一人で神殿に入る習慣があり、彼の両膝で[体を支えて]民のために赦しを懇願している[姿]が頻繁に見出された。それでその神への礼拝において彼が常に[両膝]を屈めていた結果、彼の両膝はらくだのそれのように硬くなった。

7節

彼の度を越した大いなる正義によって彼はユストと呼ばれ、またオブリアスと呼ばれた。それはギリシア語において「民の防波堤」そして「正義」の意がある。諸預言者が彼について宣言したことと合致している。

8節

さて民の間に存在した、この回想録において私によって言及された七つの派閥のうちのある者たちは、彼に尋ねた。「イエスの門とは何であるか?」彼は「彼は救助者である」と返答した。

9節

これらの言葉のためにある者たちはイエスがキリストであると信じた。しかし上述の諸々の派閥は復活についても、あらゆる人をその諸々の業に従って報いるべく来ることについても、信仰しなかった。信じたい者たちの多くはヤコブのためにそうしたのである。

10節

それゆえ統治者たちでさえ多くが信じた際、ユダヤ人たちと書記たちとファリサイ人たちの間に騒ぎがあって、彼らは民全体がイエスをキリストとして求める危険があると言った。それゆえ一体となってヤコブのところへ来て彼らは言った。「我々はあなたに、民を抑制させるよう願う。というのも彼らはイエスに関してあたかも彼がキリストであったかのように惑わされているのである。我々はあなたに、過越の祭に来た全ての者を、イエスに関して説得するよう願う。というのも我々みなはあなたに信頼を持っているのである。というのも我々は、全ての民と同じように、あなたは義なる者であり、人々を偏り見ることがない、ということをあなたについて証言するのである。[マタイ 22:16]

11節

それゆえ、群衆を、イエスに関して惑わされないよう説得するように。そして我々みなも、あなたに信頼を持っている。それゆえ神殿の頂上に立つように。それはその高いところからあなたが明確に見られるようにし、あなたの諸々の言葉が全ての民に難なく聞こえるようにするためである。というのも全ての部族は、異邦人も共に、過越のために一緒に来たのである。」

12節

それゆえ先述した書記たちとファリサイ人たちはヤコブを神殿の頂上に配置し、彼に叫んで言った。「おお、義なる者よ、我ら全てが信頼を持つべきものよ、民がイエス、すなわち磔にされた者、に従って惑わされているゆえに、我々に宣言せよ。イエスの門とは何であるか。」

13節

そして彼は大声で答えた。「なぜ私にイエス、すなわち人の子について尋ねるのか? 彼自身は天において大いなる権能の右手に着座し、天の諸々の雲にのって来ようとしている。」

14節

そして多くの者がヤコブの証言に十分に納得し、それを誇り、言った。「ダビデの子に、ホサナ。」同じ書記たちとファリサイ人たちはまた互いに言った。「我々はこのようなイエスへの証言を悪しくも提供してしまった。上って行って彼を投げ落とそう。彼らが彼を信じることを恐れるようになるためである。」

15節

そして彼らは叫んで言った。「なんと、なんと、義なる人もまた誤謬のうちにある。」そして彼らはイザヤにおいて書かれた聖句を成就させた。「義なる人を取り除こう。なぜなら彼らは我々にとって悩みの種だから。それゆえ彼らはその行いの果実を食べることになる。」[イザヤ 3:10LXX]

16節

それで彼らは上って行って義なる人を投げ落とし、互いに言った。「ヤコブ・ユストを石打ちにしよう。」そして彼らは彼を石打ちにし始めた。というのも彼は落ちたことによっては殺されなかったのである。しかし彼は向きを変え跪いて言った。「私はあなたに願う。主である我らの父なる神よ、彼らを赦し給え。というのも彼らは自分たちが何をしてあるか知らないのである。」[ルカ 23:34]

17節

そして彼らがそのように彼を石打ちにしている間に、レカブの子らの祭司たちの一人が、すなわ預言者エレミヤによって言及されているレカブ人の子[cf. エレミヤ 35:18-19]が、叫んで言った。「止めよ。なんということをしているのか? 義なる者があなたがたのために祈っているではないか。」

18節

そして彼らのうちの一人が、太っている者であったが、棍棒を取ってそれで衣服を打ち叩き、義なる人の頭を殴打した。こうして彼は殉教を受けた。そして彼らはその地点、神殿のそばに彼を埋め、その記念碑がまだ神殿のそばに残っている。彼はユダヤ人とギリシア人の両方に対して、イエスがキリストであることの真実なる証人となった。そして直ちにウェスパシアヌスが彼らを包囲した。

19節

これらのことはヘゲシッポスによってかなりの長さで語られており、彼はクレメンスとも合致している。ヤコブは非常に賞賛された人物であり、彼の義のために全ての者の間で非常に名高かったので、より敏い者はユダヤ人でさえエルサレムの包囲はこれが原因であったという意見を持つほどであった[cf.エレミヤ35:16-17]。すなわちそれは[ヤコブ]の殉教の後直ちに、彼らの[ヤコブ]に対する向こう見ずな行為の故に、彼らに起こったのである。

20節

少なくともヨセフスは、彼の諸々の著作においてこれを証言することに躊躇がなかった。そこで彼はこう言っている。…これらのことがユダヤ人たちに起こったのは、ヤコブ・ユストについての復讐のためであった。彼はキリストと呼ばれるイエスの兄弟であった。というのも彼は最も義なる人であったが、ユダヤ人たちは彼を虐殺したのである。

21節

そして同じ著者はまた彼の『古代誌』の第二十書において[ヤコブ]の死について以下の諸々の言葉で記録している。…しかし皇帝は、フェストゥスの死を知ると、アルビヌスをユダヤの法務官[procurator]とすべく遣わした。しかし小アナヌスは、既述のように大祭司位を獲得していたが、彼は度を越して大胆不敵で無謀な気質であった。さらに彼はサドカイ人の派閥に所属していた。[サドカイ派]は既に我々が示したように、全てのユダヤ人の中で最も裁きの処刑において残忍であった。

22節

それゆえアナヌスは、このような人格であり、フェストゥスが死んだという事実のために好ましい機会を持ったと思い、アルビヌスがまだその途上にある中、サンヘドリンを召集し、彼らの前にイエス、すなわにキリストと呼ばれた者の兄弟で名をヤコブという者を他の何人かと一緒に運び、彼らを律法を侵したことによって告発し、彼らを石打ちにされるべく弾劾した。

23節

しかしその都市にいる者で極めて穏健で律法に熟練した者たちは、これに対して非常に怒り、秘密裏に王へと使いを出して彼にアナヌスにこのような一連のことを止めるよう命令することを要求した。というのも彼はこの最初の時でさえ義を為さなかったのである。そして彼らのうちのある者はアレクサンドリアから旅していたアルビヌスにも会いに行って、彼に、彼が知ることなくアナヌスがサンヘドリンを召喚したことは適法ではないことを気づかせた。

24節

そしてアルビヌスは、彼らの諸々の陳情に納得させられ、怒りのうちにアナヌスへ書き送り、刑罰で彼を脅した。そして王であるアグリッパはその結果、彼から大祭司位を剥奪した。[その祭司位をアナヌス]は三ヶ月保持した。そして[アグリッパ]はダムナエウスの子イエススを任命した。

25節

以上のことがヤコブについて記録されている。 [彼]はいわゆる公同書簡の第一[書]の著者と言われている。しかしそれは議論のあることであることを注意しておく必要がある。少なくとも、多くの古代の者たちがそれについて言及しているわけではなく、それはまた七つのいわゆる公同書簡の一つであるユダの名を持つ書簡と同様である。それでも我々はこれらもまた、他のものと共に、非常に多くの教会で公的に読まれてきたことを知っている。

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