[メモ]メド=ペルシア連合の王名の対応(2)
今日の歴史学の見解によれば、アケメネス朝は以下のように王位が継承されたと一般的に考えられている。
【1.キュロス2世(クルシュ)】 BC550-529
家族
父 カンビュセス1世(カムボジヤ, アンシャン王)
母 マンダネ
母方祖父 アステュアゲス(メディア王)
妻 カッサンダネ
息子 カンビュセス2世(次代)、スメルディス(バルディヤ, 次々代)
娘 アトッサ、アルテュストネ(共にダレイオス1世妃)
事跡
BC540にエラム州スサ市を制圧
BC539にバビロン市を制圧
BC530にマッサゲタイ人との戦いで死亡
20のサトラップを設置
【2. カンビュセス2世(カムブジヤ)】
BC530-522
家族
父 キュロス2世
母 カッサンダネ
弟 スメルディス
事跡
BC525にエジプトを征服
【3.スメルディス(バルディヤ) or ゴウマータ】
BC522
カンビュセスの後、カンビュセスの弟スメルディス本人、または(ダレイオス1世の主張によれば)スメルディスを僭称した神官ゴウマータがわずかな期間即位した。
【4.ダレイオス1世(ダラヤヴァフシュ)】
BC522-486
家族
父 ヒュスタスペス(ヴィシュタスパ, バクトリア総督)
祖父 アルサメス(アルシャマ)
曽祖父 アリアラムネス(アリヤーラムナ, キュロス1世の弟)
妻 アトッサ(キュロス2世の娘)など
息子 クセルクセス1世など
事跡
BC515までにインダス川周辺まで征服
BC490にマラトンの戦いでギリシア軍に敗北
【5. クセルクセス1世(クシャヤルシャ)】
BC486-465
家族
父 ダレイオス1世
母 アトッサ(キュロス2世の娘)
妻 アメストリス(将軍オタネスの娘)
息子 アルタクセルクセス1世など
事跡
BC484にバビロン市のベル神像を破壊し反乱を誘発
BC480にサラミスの海戦でギリシア軍に敗北
BC465に暗殺される
【6. アルタクセルクセス1世(アルタクシャサ)】
BC465-425
家族
父 クセルクセス1世
母 アメストリス
息子 クセルクセス2世、ソグディアノス、ダレイオス2世
BC454にエジプトの反乱を鎮圧
その後…
【クセルクセス2世】BC424 ソグディアノスにより暗殺
【ソグディアノス】BC424-423 ダレイオス2世により殺害
【ダレイオス2世】BC423-405/4
【アルタクセルクセス2世ムネモン】BC404-358 ダレイオス2世の子
【アルタクセルクセス3世】BC358-338 アルタクセルクセス2世の子
【アルタクセルクセス4世アルセス】BC338-330 アルタクセルクセス3世の子
【ダレイオス3世】BC336-330 アルタクセルクセス2世の娘の子 本名アルタシャスタ アレクサンダー大王に敗れアケメネス朝滅亡
現代のキリスト教世界で一般的に受け入れられている比定は以下のようになっている。
ダニエル書1,10章 ペルシャ王クルシュ
→ 【1.キュロス2世】
ダニエル書6:1 メディア人ダリユシュ → 【不明】
ダニエル書9:1 アハシュウェロシュの子ダリユシュ → 【不明】
ダニエル書のダリユシュ(ダレイオス)はクセノフォンの記録するメディア王キュアクサレス2世(キュロスの母方祖父アステュアゲスの子)と最も整合するが、ヘロドトスの記録に現れない。【4.ダレイオス1世】はペルシア人であるためメディア人と呼ばれたとすれば違和感が残る。
エズラ記1章 クルシュ→【1.キュロス2世】
エズラ記4:6 アハシュウェロシュ→【5.クセルクセス1世】
エズラ記4:7 アルタフシャスタ→【6.アルタクセルクセス1世】
エズラ記4:24,5:7, 6:1 ダリユシュ→【4.ダレイオス1世】
エズラ記7:1,8:1,ネヘミヤ2:1 アルタフシャスタ→【6.アルタクセルクセス1世】
エステル記1:1 アハシュウェロシュ→【5.クセルクセス1世】
エズラ記に時系列の乱れが見られる。
史家ヨセフスは『ユダヤ古代誌』の十一巻において以下のような比定を示している。
http://www.sacred-texts.com/jud/josephus/ant-11.htm
エズラ記1:1 クルシュ(LXX キュロス) → 【1.キュロス2世】
エズラ記4:7 アルタフシャスタ(LXX アルタサスタorアルタクセルクセス) → 【2.カンビュセス2世】
エズラ記4:24, 5:7, 6:1 ダリユシュ(LXX ダレイオス) → 【4.ダレイオス1世】
エズラ記7:1,8:1,ネヘミヤ2:1 アルタフシャスタ(LXX アルタサスタorアルタクセルクセス) → 【5.クセルクセス1世】
エステル記1:1 アハシュウェロシュ(LXX アルタクセルクセス) → 【6.アルタクセルクセス1世】
エズラ記の時系列の乱れが解消されているが、名前の比定に一貫性がない。
強いて言えばヘブル語のアルタシャスタの二種類のスペルを二人の王に分けて比定している。しかもその比定はカンビュセスとクセルクセスに対してなされ、アルタクセルクセスに対してはエステル記のアハシュエロスを比定している。七十人訳聖書のエステル記もアハシュエロスをアルタクセルクセスと訳している。
エズラ記の前半のアルタシャスタは「ארתחששתא」と綴られ、エズラ記後半(7:1以降)とネヘミヤ記は「ארתחשסתא」と綴られている。LXXでは前後半の綴りの変化はなく、第1エズラ記では一貫して「Αρταξερξης」と、第2エズラ記では一貫して「Αρθασασθα」と綴られる。
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