『教会史』第2巻 第25章 ネロの下での迫害、すなわちパウロとペテロが宗教を代表してローマで殉教によって名誉を帰されたものについて

http://www.newadvent.org/fathers/250102.htm

第25章 ネロの下での迫害、すなわちパウロとペテロが宗教を代表してローマで殉教によって名誉を帰されたものについて

1節

さてネロの支配が 堅く据えられた際、彼は不浄な追求へと突入し始め、宇宙の神の宗教に対抗してさえ自身を武装した。

2節

彼の腐敗の大きさを描写することは本著作の計画内には無い。確かに彼の歴史を極めて正確な諸々の語りにおいて記録した多くのものがあって、あらゆる者は好きにそれらから以下のことを学ぶことができるからである。すなわちその人の度を越した狂気の下品さについてである。その影響の下で、彼は何の理由もなく多くの無数の者たちの破壊を完遂した後で、彼は以下のような流血の咎へと走り入った。すなわち彼は彼の近親や親友たちでさえ余すことなく、それどころか彼の母と彼の兄弟たちと彼の妻を、彼自身の家族の非常に多くの他のものたちと共に、私的あるいは公的な敵たちとなるから[という理由で]様々な種の死を以って破壊した。

3節

しかし全てのこれらのことと共に、彼の諸々の犯行の目録における特に以下のことがさらに必要であった。すなわち彼が皇帝たちの中で最初に自身を神の宗教の敵として示したのである。

4節

ローマのテルトゥリアヌスは同様にこれの証人である。彼は以下のように書いている。…あなたがたの記録を検証しなさい。ネロがこの教義を迫害した第一の者であったことを見出すだろう。特に全ての東[の地域]を制圧した後から彼はその残忍さをローマにある全ての者に対して行使した。我々はそのような人物を我々の刑罰において指導者として持っていることにおいて誇る。というのも彼を知っている者は誰でも、何か大いなる卓越性がない限り、ネロによって弾劾されるものは無いということを理解できるのである。

5節

このように自身を神の諸々の敵の首長の間で第一の者として公的に告知して、彼は使徒たちの虐殺へと誘われた。それゆえ以下が記録されている。すなわちパウロはまさにローマにおいて打ち首にされ、そして同様にペテロはネロの下で磔刑にされたのである。このペテロとパウロについての報告は、彼らの名が今日に至るまでその場所の諸々の共同墓地において保存されている事実から実証される。

6節

同様に教会の構成員であるガイウスによって以下が確証される。[彼]はローマ司教ゼフィリヌスの下で起こった者である。彼はプロクロス、すなわちフリギアの異端の指導者との、公表された討論において、前述の使徒たちの神聖な遺体が横たわる諸々の場所に関して以下のように話している。…

7節

しかし私は使徒たちの戦勝記念物を示すことができる。というのもあなたがヴァチカンへ、あるいはオスティアの街道へ行くならば、この教会の諸々の基礎を据えた者たちの諸々の戦勝記念物を見出すのである。

8節

そして彼ら両方は同じ時代に殉教を受けた、ということが、コリント司教であるディオニュシオスによって、そのローマ人への書簡において、以下の諸々の言葉で述べられている。…このようにあなたがたはそのような結び合わされた訓戒によって、ローマとコリントにおける、ペテロによる、またパウロによる、植樹を得ている。というのも彼らの両者は我らのコリントにおいて、我々を植え、そして同様に、教えたのである。そして彼らは同様にイタリアにおいても一緒に教え、そして同じ時に殉教を受けた。
私がこれらのことを引用したのは歴史の真実がさらにより確証されるためである。

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