『教会史』第1巻 第11章 洗礼者ヨハネとキリストに関する諸々の証言について(エウセビオス)

http://www.newadvent.org/fathers/250101.htm

11章 洗礼者ヨハネとキリストに関する諸々の証言について

1節
この後それほど経たずに、諸々の福音書において述べられているように、小ヘロデによってかの洗礼者ヨハネが斬首された。ヨセフスもまた同じ事実を記録しており、ヘロデヤス[ヘロデヤ]の名を挙げて言及をなしている。[ヘロデヤ]は[ヘロデ]の兄弟の妻であったが、ヘロデは以前の適法の妻と離縁した後、ヘロデヤを彼女のまだ生きている夫から引き離して彼自身の妻とした。[以前の妻は]ペトラの王アレタス[Aretas]の娘であった。

2節
[ヘロデ]がヨハネを虐殺したことも、そして[アレタス]の娘に課された辱めのゆえにアレタスとの戦争が起きたことも、[ヘロデヤ]のせいであった。ヨセフスは、この戦争において、戦闘に来た際にヘロデの全軍が壊滅したこと、そしてこの惨事を受苦したのは彼のヨハネに対する悪事のためであったことを叙述している。

3節
同じヨセフスはこの報告において、洗礼者ヨハネが卓越して義人であったことを告白しており、それゆえ[彼の報告は]彼について福音書において書かれたことと合致している。彼はまたヘロデが同じヘロデヤのためにその王国を失い、彼女とともに追放されて、ガリアのヴィエンヌで生活するよう宣告されたことを記録している。

4節
彼はこれらのことを『古代誌』の第十八書において叙述し、そこで彼はヨハネについて以下の言葉で記している。「ユダヤ人たちのある者たちには、ヘロデの軍が、洗礼者と呼ばれたヨハネの復讐を極めて正当にも為した神によって壊滅させられた、と思われた。」

5節
というのもヘロデは良き人を虐殺したのである。[ヨハネ]はユダヤ人たちに、[自分のところに]来て洗礼を受けるように、[そして]徳あることを行い、お互いと神に対して義を実行するように、勧告した者である。というのも洗礼とは、それを受けた者たちが[神]にとって受け入れられる者のようになるものなのである。[洗礼]はある諸々の罪の赦免のためのものではなく、身体の浄化のためのものである。それは魂が既に義において浄化されているためである。

6節
そして(彼の諸々の言葉を聞くことにより喜びを見出したので)他の者たちが彼の周りに集まった際、ヘロデは彼の偉大な影響力が何らかの暴動を引き起こすかもしれないと恐れた。というのも[人々]が彼の忠告することは何でもする覚悟があるように見えたのである。それゆえ彼は、来たる革命の後に、諸々の困難のただ中にいることに気づいた際に後悔するよりも、ヨハネの影響力のもとで何らかの新しいことが為される前に、彼を虐殺することによって先んじる方がずっと良いと考えた。ヘロデの疑いのために、ヨハネは上で言及したマカエラ[Machæra]の要塞で拘束されるべく送られ、そこで虐殺された。

7節
ヨハネに関するこれらのことを叙述したあとで、彼は同じ著作において、我らの救助者についての言及を以下の諸々の言葉において為している。…そしてその時代にそこで、人と呼ぶのがもし確かに適切であるならば、賢い人である、イエスが生きていた。というのも彼は諸々の驚くべき業を為す者であり、喜びのうちに真理を受けるような人々にとっての教師であったのである。彼は自分に多くのユダヤ人たちと、また多くのギリシア人を伴っていた。彼はキリストであった。

8節
ピラトが、我々の主要な人々の告発において彼を十字架へと宣告した際、始めに彼を愛していた者たちは彼を愛することをやめなかった。というのも彼は彼らに再び生きて第三日目に現れた。神の預言者たちはこれらのことと、彼についての数えきれない他の諸々の驚くべきことを教えてきたのである。さらに、キリスト者の種族は、彼にちなんで呼称され、今日に至るまで存続している。

9節
ヘブル人たち自身のうちの一人である歴史家がその著作において洗礼者ヨハネと我らの救助者に関してこれらのことを記録しているのだから、彼らに対抗して諸々の行為をでっちあげた全ての恥知らずの者たちを弾劾しないことに弁解の余地など何かあるだろうか?ただ、これについてはここで十分としよう。

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