[メモ]ナジル人の系譜とメルキゼデク系の祭司

https://note.mu/makojosiah/n/nb6f896d92c1e?magazine_key=m1c2295bfb991

上記メモでは、メルキゼデク系の祭司の系譜があるのでは、という仮定によって、「燔祭」をキーワードにアダムからソロモンまでの非アロン系祭司をまとめた。

しかしソロモン以降、燔祭を行なった非レビ系の祭司は預言者エリヤを除くと見つけられなかった。

キリスト者にとってイエスがメルキゼデク系の祭司の完成系であるため、もし「メルキゼデク系の祭司」の系譜が連続的にあるとすれば、ソロモンとエリヤの間、またエリヤとキリストの間も何らかの形で埋める必要がある。

とりあえずエリヤとソロモンの間を考えずに、エリヤがメルキゼデク系の祭司であると仮定すると、その継承先は、証拠には乏しい(燔祭などを行なった記述がない)が、エリヤの二つの分け前を得た預言者エリシャこそが次代に相応しいだろう。しかし預言者エリシャの次は誰か?彼の従者ゲハジは祭司権どころか呪いを受けている(列王記下5章)。しかし預言者エリシャが油を注いで任命した王がいる。北イスラエルの王エフーである。彼も祭司権があるような記述はないが、もしかすると彼がメルキゼデク系の祭司かもしれない。と、ここまでがんばってみたものの、ここまでで、イエフ朝の四代の王に地位が継承されたとしても、イエフ朝の断絶と共にこの職位の行方は不明になる。

この系譜を調べていく中で気づいたことの一つとして、「ナジル人」の影がちらつく、ということがあった。

ナジル人は民数記6章で規定されたもので、以下のようになっている。

・誓願に基づいてなる(6:2)

・ぶどう酒やぶどうの実を断つ(6:3)

・誓願が満ちるまで頭を剃らない(6:5)

・聖別されている(6:8)

・死体のそばにいると誓願が無効となる(6:9)

・無効となった誓願は儀式によりやり直せるが、期間はゼロから(6:11-12)

・清めには二羽の鳩をそれぞれ贖罪と全焼の生贄にする(6:11)

・誓願のやり直しに1歳の雄羊を賠償の生贄にする(6:12)

誓願が満ちると以下のことが定められている。

・臨在の幕屋に来る(6:13)

・以下を献げる。全焼の一歳の雄羊・贖罪の一歳の雌羊・和解の雄羊・無酵母のオリーブ油入りの輪型のパンと薄焼きパンを入れた籠・穀物・ぶどう酒(6:14-15)

・臨在の幕屋で髪を剃り、和解の生贄と燃やす(6:18)

・祭司に以下を渡されて奉納物とする。雄羊の肩・輪型のパンと薄焼きパン(6:19-20)


儀式のことはまとめてみたもののまだちょっとよくわからないので、簡単に言えば四つの特徴がある。

・誓願に基づく

・酒を断つ

・髪を剃らない

・死体に近づかない


しかしナジル人についての明示的言及は聖書中では極めて少なく、この民数記6章を除くと士師記のサムソンに関する記事(士師13-16章)とアモス2:11-12だけである。

サムソンに関しては以下のように言われている。

"主の使がその女に現れて言った、「あなたはうまずめで、子を産んだことがありません。しかし、あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。それであなたは気をつけて、ぶどう酒または濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。その頭にかみそりをあててはなりません。その子は生れた時から神にささげられたナジルびとです。彼はペリシテびとの手からイスラエルを救い始めるでしょう」。"士師記 13:3-5

しかしナジル人の特徴に着目して注意深く読んでいくと、ナジル人らしき人物が他にも見つかる。このマノアの妻とサムソンに関する記事は、ハンナとサムエルに関する記事とよく似ている。

"そして誓いを立てて言った、「万軍の主よ、まことに、はしための悩みをかえりみ、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜わりますなら、わたしはその子を一生のあいだ主にささげ、かみそりをその頭にあてません」。"サムエル記上 1:11

またここの後半は七十人訳聖書ではこうなっている。

わたしは彼を、彼の死の日に至るまであなたの前に捧げられるべくあなたに与え、彼にぶどう酒や濃い酒が飲まれることはなく、鉄が彼の頭上に向かわれることはありません。サムエル記上 1:11(LXX)

なぜかマソラ本文には残されていないが、七十人訳はサムエルのナジル人としての特徴がより際立っている。

サムエルは上記メモで見たように燔祭を行う非レビ系の祭司でもある。


本筋からそれそうな気がするが、最も有力な「メルキゼデク系の祭司」候補と思われるダビデには、ソロモン以外にも祭司となった子らがいる。

"ゼルヤの子ヨアブは軍の長、アヒルデの子ヨシャパテは史官、アヒトブの子ザドクとアビヤタルの子アヒメレクは祭司、セラヤは書記官、エホヤダの子ベナヤはケレテびととペレテびとの長、ダビデの子たちは祭司であった。"サムエル記下 8:16-18

そのようなダビデの子らのうち、燔祭を行なったソロモンの他に、ナジル人という観点で言えば第二子アブシャロムも「誓願」と「髪を伸ばす」の要素が整合している。

"さて全イスラエルのうちにアブサロムのように、美しさのためほめられた人はなかった。その足の裏から頭の頂まで彼には傷がなかった。アブサロムがその頭を刈る時、その髪の毛をはかったが、王のはかりで二百シケルあった。毎年の終りにそれを刈るのを常とした。それが重くなると、彼はそれを刈ったのである。"サムエル記下 14:25-26

"そして四年の終りに、アブサロムは王に言った、「どうぞわたしを行かせ、ヘブロンで、かつて主に立てた誓いを果させてください。それは、しもべがスリヤのゲシュルにいた時、誓いを立てて、『もし主がほんとうにわたしをエルサレムに連れ帰ってくださるならば、わたしは主に礼拝をささげます』と言ったからです」。"サムエル記下 15:7-8


新約時代では、洗礼者ヨハネと使徒パウロもナジル人であったと思われる。パウロは短期間の誓願をしたナジル人であり、ヨハネはサムソンやサムエルのような生涯を誓願期間としたナジル人であると思われる。

"さてパウロは、なお幾日ものあいだ滞在した後、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向け出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは、かねてから、ある誓願を立てていたので、ケンクレヤで頭をそった。"使徒行伝 18:18

"そこで御使が彼に言った、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。彼はあなたに喜びと楽しみとをもたらし、多くの人々もその誕生を喜ぶであろう。彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」。"ルカによる福音書 1:13-17

このように洗礼者ヨハネは生涯のナジル人と思われる。これは母エリサベトが石女であったことからも、サムソンやサムエルの例との類似が見える。また、ここで同時に洗礼者ヨハネはエリヤの霊と力の継承者であることが示される。上述のように、預言者エリヤもまたメルキゼデク系の祭司の候補である。

そしてイエス自身も要所要所でナジル人の要素を匂わせている。

"ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって、「彼はナザレ人と呼ばれるであろう」と言われたことが、成就するためである。"マタイによる福音書 2:23

この預言は旧約に見当たらない。有力な説の一つとしてサムソンに関する預言「彼はナジル人である」が元になっているという説がある。

"あなたがたによく言っておく。神の国で新しく飲むその日までは、わたしは決して二度と、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。"マルコによる福音書 14:25

酒断ちの誓いは典型的なナジル人の特徴となっている。

"人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。イエスは言われた、「泣くな、娘は死んだのではない。眠っているだけである」。"ルカによる福音書 8:52

死んだ人といれば誓願が途切れてしまうが、イエスにとっては眠っているだけなので途切れない、という主張と取ることもできる。

"ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。"ヨハネによる福音書 2:3-4

ナジル人は時が満ちるまで酒が飲めない、という意味にも取れる。

イエスがナジル人かつメルキゼデク系の祭司で、洗礼者ヨハネもそうだとすると、やはり継承が起こっているように見える。なんとかエリヤとイエスを繋ぐ時代に、ナジル人の系譜が見つからないだろうか。

燔祭の要素は見当たらないが、「誓い」と「酒断ち」の要素が整合し、メルキゼデク系の祭司に相応しそうな人物が捕囚記にいる。預言者ダニエルである。

"すなわち身に傷がなく、容姿が美しく、すべての知恵にさとく、知識があって、思慮深く、王の宮に仕えるに足る若者を連れてこさせ、これにカルデヤびとの文学と言語とを学ばせようとした。"
ダニエル書 1:4

"ダニエルは王の食物と、王の飲む酒とをもって、自分を汚すまいと、心に思い定めたので、自分を汚させることのないように、宦官の長に求めた。"ダニエル書 1:8

関係ないかもしれないけれど、この系譜は「美しい人」が多い気がする。ヨブ(の娘、ヨブ42:15)・モーセ(出エジプト2:2、使徒7:20)・ダビデ(サム上16:12)・アブシャロム(? サム下14:25)・ソロモン(雅歌5:15-16)・ダニエル(ダニ1:4)

ダニエルは燔祭を行なっていないが、常供の祈りを献げており、メルキゼデク系の祭司として相応しい人物に思える。

"ダニエルは、その文書の署名されたことを知って家に帰り、二階のへやの、エルサレムに向かって窓の開かれた所で、以前からおこなっていたように、一日に三度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ感謝した。"ダニエル書 6:10

ダニエルはホセア以降の世代であり、神殿祭儀の一歩先を行っていたのかもしれない。

"わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。"ホセア書 6:6


捕囚期の預言者ダニエルから洗礼者ヨハネまでの時代は聖書に記述が少ないため、エズラ・ネヘミヤの時代までがんばったとしてもそれ以降は辿れない。

一方で、預言者エリヤから預言者ダニエルの間を繋ぐ人々はいるだろうか、

メルキゼデク系の祭司の系譜とナジル人の系譜に関連があると考えて、燔祭を行なってはいないが、酒断ちなどをしている人々がこの間にいないだろうか。実はいた。しかもモーセとカレブの家系を繋いでいると思われる、ケニ人レカブの家系がそれである。

このケニ人の家系は、ミディアンの祭司レウエル、律法者モーセに関わり、更にダビデ王を輩出したエフラタの家系の祖カレブと近しく、メルキゼデク系の祭司を考えるにあたって核となった人々である。

https://note.mu/makojosiah/n/nd840840e3962?magazine_key=m1c2295bfb991

捕囚期のエレミヤは、レカブの子孫との会話を記録している。

"わたしはレカブびとの前に酒を満たしたつぼと杯を置き、彼らに、「酒を飲みなさい」と言ったが、彼らは答えた、「われわれは酒を飲みません。それは、レカブの子であるわれわれの先祖ヨナダブがわれわれに命じて、『あなたがたとあなたがたの子孫はいつまでも酒を飲んではならない。また家を建てず、種をまかず、またぶどう畑を植えてはならない。またこれを所有してはならない。あなたがたは生きながらえる間は幕屋に住んでいなさい。そうするならば、あなたがたはその宿っている地に長く生きることができると言ったからです』。こうしてわれわれは、レカブの子であるわれわれの先祖ヨナダブがすべて命じた言葉に従って、われわれも、妻も、むすこ娘も生きながらえる間、酒を飲まず、住む家を建てず、ぶどう畑も畑も種も持たないで、幕屋に住み、すべてわれわれの先祖ヨナダブがわれわれに命じたところに従い、そのように行いました。"エレミヤ書 35:5-10

このレカブの子ヨナダブの家系は、嗣業の土地を持たずに天幕生活をする、などレビ族のようなあり方をしているが、アロンの子孫ではなくアロン系の祭司ではないと思われる。そして酒を代々断つナジル人の系譜であることが推測できるのである。

つまり、ダニエルとレカブの子孫の関わりはわからないが、少なくともダニエルの時代(エレミヤと1世代以内の違い)まで、しばらくこのレカブの子ヨナダブの子孫がナジル人の系譜を保存していた可能性がある。これによって、捕囚期から、レカブの子ヨナダブなる人物の時代まで伸ばすことができそうだ。

さて、エリヤの継承者はエリシャであろう、エリシャの継承者は、あるとすればエフー(エヒウ、イエフ)王であろう、と先ほど述べた。

ではこのレカブの子ヨナダブとエフーの間は何世代くらい差があって、どう繋がるのだろうか。

なんと、都合が良すぎることに、直接一代で繋がるのである。

"エヒウはそこを立って行ったが、自分を迎えにきたレカブの子ヨナダブに会ったので、彼にあいさつして、「あなたの心は、わたしがあなたに対するように真実ですか」と言うと、ヨナダブは「真実です」と答えた。するとエヒウは「それならば、あなたの手をわたしに伸べなさい」と言ったので、その手を伸べると、彼を引いて自分の車に上らせ、「わたしと一緒にきて、わたしが主に熱心なのを見なさい」と言った。そして彼を自分の車に乗せ、サマリヤへ行って、アハブに属する者で、サマリヤに残っている者をことごとく殺して、その一族を滅ぼした。主がエリヤにお告げになった言葉のとおりである。"列王紀下 10:15-17

そしてエヒウレカブの子ヨナダブと共にバアルの宮に入り、バアルの礼拝者たちに言った、「調べてみて、ここにはただバアルの礼拝者のみで、主のしもべはひとりも、あなたがたのうちにいないようにしなさい」。こうして彼は犠牲と燔祭とをささげるためにはいった。さてエヒウは八十人の者を外に置いて言った、「わたしがあなたがたの手に渡す者をひとりでも逃す者は、自分の命をもってその人の命に換えなければならない」。こうして燔祭をささげることが終ったとき、エヒウはその侍衛と将校たちに言った、「はいって彼らを殺せ。ひとりも逃がしてはならない」。侍衛と将校たちはつるぎをもって彼らを撃ち殺し、それを投げ出して、バアルの宮の本殿に入り、バアルの宮にある柱の像を取り出して、それを焼いた。また彼らはバアルの石柱をこわし、バアルの宮をこわして、かわやとしたが今日まで残っている。このようにエヒウはイスラエルのうちからバアルを一掃した。"列王紀下 10:23-28

なんと、レカブの子ヨナダブはまさにエフー王と共にバアルの祭儀を滅ぼしたその人であり、エフーの継承者として相応しい立場にいるのである。

つまりこれによって、

ソロモン(BC10c前半)
(不明?)
エリヤ(BC10c後半)
エリシャ(BC900前後)
エフー(BC9c前半)
ヨナダブ(BC9c前半)
(ヨナダブの子孫)
(エレミヤ?)(BC6c前半)
ダニエル(BC6c)

という継承ラインが出来上がる(ソロモンとエリヤの間に1-2代の欠けがあるかもしれないが)。エフーもこのラインにあるということがわかると、先ほどの「エフーが燔祭を行った」という記述は彼のメルキゼデク系の祭司権を保証するものとして読むことができる。

このうち、ソロモン、エリヤ、エフー以外は燔祭を行なった記述がないが、ヨナダブとその子孫、そしてダニエルはナジル人らしきことが示唆される。

残るエリシャは、ハゲ頭をからかわれて42人の若者を呪い殺しているが、彼もその時、実は誓願を満たして頭を剃ったナジル人だったのかもしれない。預言者をからかった、というよりは、聖別された者をからかったことが重かったのかもしれない。

"彼はそこからベテルへ上ったが、上って行く途中、小さい子供らが町から出てきて彼をあざけり、彼にむかって「はげ頭よ、のぼれ。はげ頭よ、のぼれ」と言ったので、彼はふり返って彼らを見、主の名をもって彼らをのろった。すると林の中から二頭の雌ぐまが出てきて、その子供らのうち四十二人を裂いた。"列王紀下 2:23-24

またエリシャは皮膚病のナアマンとの面会を避けており、口頭で指示を与えている。このことも清め分かたれるナジル人の特性を示しているかもしれない。

"そこでナアマンは馬と車とを従えてきて、エリシャの家の入口に立った。するとエリシャは彼に使者をつかわして言った、「あなたはヨルダンへ行って七たび身を洗いなさい。そうすれば、あなたの肉はもとにかえって清くなるでしょう」。しかしナアマンは怒って去り、そして言った、「わたしは、彼がきっとわたしのもとに出てきて立ち、その神、主の名を呼んで、その箇所の上に手を動かして、らい病をいやすのだろうと思った。ダマスコの川アバナとパルパルはイスラエルのすべての川水にまさるではないか。わたしはこれらの川に身を洗って清まることができないのであろうか」。こうして彼は身をめぐらし、怒って去った。"列王紀下 5:9-12


ソロモンの死から北イスラエルのアハブ王の即位まではおよそ60年であり、預言者エリヤはアハブの即位のおよそ30年後、南ユダのヨラム王の末期にヨラムへ書簡を送っている(歴代誌下21:12)ため、たとえば90歳まで生きたとしてもソロモンの死より十分前には生まれていない。つまりソロモンとエリヤの間には誰かもう一人を介在させる必要があるが、それについてはまだわからない。


さて、伝承によれば使徒時代にもう一人ナジル人がいる。それは初代エルサレム総主教、主の兄弟ヤコブである。彼の殉教の様子について、ヘゲシッポスが興味深い記録を残している。

"そのように彼らが[ヤコブ]を石打ちにしようとしていた時、ある、レカブの子らの祭司のうちの一人、すなわち預言者エレミヤの言及するレカブ人の子が、叫んで言った。「止めなさい。何をしているのだ。義なる者(Just one)があなたがたのために祈っているではないか。" (エウゼビオスによる引用、教会史ii.23.17

ナジル人と祭司という要素の習合がここにも見られる。

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