『ケルソス駁論』第二巻 第六十二章(オリゲネス)

http://www.newadvent.org/fathers/04162.htm

さて彼に関して発された全ての予言、そのうちにはこの復活の予言もあるが、そこから、そして彼によって為された全てのことから、また彼に降りかかった全ての出来事から、以下が従った。すなわちこの出来事は全ての他のことに勝って驚嘆すべきことであった。というのも預言者たちによって、イエスの位格において前もってこのように言われていたのである。「私の肉体は希望のうちにあり、あなたは私の魂をハデスに残さず、あなたの聖者に腐敗の目に遭わせない。」そして真実に、彼の復活の後、彼はあたかも、彼の諸々の受苦の前に彼が持っていたような大きさを持ったものと、そのような体に覆われていない魂の現れの、中間的な体において存在した。それゆえこのようになった。つまり彼の弟子たちが一緒にいたとき、トマスも彼らと共にあり、そこにイエスが来て、戸が締められたまま、真ん中に立って、「あなたがたに平和があるように」と言ったのである。それから彼はトマスに言った。「こちらへあなたの指を伸ばしなさい、云々」そしてルカの福音においても、シモンとクレオパが彼らに起こった全てのことに関して互いに会話していた間、イエスは近寄って、彼らと共に言った。そして彼らの目は、彼らが彼に気づかないように保たれていた。そして彼は彼らに言った。「あなたがたが歩きながら、互いに為しているのはどんな会話ですか?」 そして彼らの目が開かれ、彼らが彼に気づくと、聖書は明確な言葉で「そして彼は彼らの見ているところから消失した」と言っている。そしてケルソスはイエスについて、そして彼をその復活の後で見た者たちについて、告げられていることを、別種の想像上の現れや、そのようなことをでっちあげた者たちと同じ水準に位置づけようと望むかもしれないが、偏見なく知性的な検証を設置する者たちにとっては、その諸々の出来事はただ更に奇跡的なことに思えるであろう。

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