『教会史』第1巻 第5章 人々の間での彼の出現の時代について(エウセビオス)

http://www.newadvent.org/fathers/250101.htm

5章 人々の間での彼の出現の時代について

1節
そしてここで、我々の提示された教会史へのこの必要な導入の後に、我らの救助者の肉における出現から始めて、我々はいわば我々の旅へと入ろう。我々は言葉の御父なる神に、そして我々が語ってきた我らの救助者で主であるイエス・キリストその方に、真実の叙述において我らの助け手、また同労者になっていただくよう懇願する。

2節
我らの救助者で主であるイエス・キリストが、彼について発言されてきた諸々の預言に従ってユダヤのベツレヘムにおいて生まれた[ミカ 5:2]のは、アウグストゥス[(オクタウィアヌス, BC 27 - AD 14)]の統治の第四十二年であり、またエジプト征服と、アントニウスおよびクレオパトラ[BC 69 - 30]の死、すなわち彼らを以ってエジプトにおけるプトレマイオス王朝が終わりを迎えた、二十八年後のことであった。彼の誕生はキリニウスがシリアの総督であった間の第一の国勢調査の間に起こった。[エウセビオスはアウグストゥスの統治元年を、彼がインペラトルに就任した紀元前43年として数えていると思われる]

3節
ヘブル人の歴史家たちのうちで最も高名であるフラウィウス・ヨセフスもまたキリニウスの在職期間の間に行われたこの国勢調査に言及している。同じ関連において、彼はガリラヤ人たちの蜂起についての報告を与えている。それはその時に起こったもので、それについては我々の著作家の間でもルカス[ルカ]が使徒言行録において以下の言葉で言及している。「この人の後に、課税査定[人口調査]の日々において、ガリラヤのユダが、彼に続く群衆を引き抜いた。彼もまた滅んだ。そして全ての者は、彼に従った者ほどの多さでさえ、散らされた。」[使徒 5:37]

4節
上述の著者は、彼の『古代史』の第十八書において、これらの言葉と合致して以下のように加えている。我々は正確に引用する。「元老院の一員であるキリニウスは、他の諸々の要職を保持して執政官にまで通過したが、他の諸々の観点においても偉大な威厳ある人であった。彼は小規模な随行団と共にシリアへ来た。その国の裁定者となるべく、また彼らの資産についての評価をすべく、カエサルに遣わされたのである。」

5節
そして少し後に彼はこう言っている。「そしてガマラと呼ばれる都市出身のゴラン人[Goulonite]ユダは、パリサイ人であるサデュコス[Sadduchus]を連れて、民を反乱へと駆り立てた。彼らの両方は、課税査定は完全な隷従以外の何ものをも意味しないと言い、彼らの自由を守るようその国に勧告していた。」

6節
そして彼の『ユダヤ戦争の歴史[ユダヤ戦記]』の第二書において、彼は同じ人に関して以下のように書いている。「この時、ユダという名のとあるガリラヤ人が、彼の同郷人たちに反乱するよう説得した。彼らはローマ人たちに貢ぎ物を払うことに服し、神を差し置いて死すべき主人たちを甘受するならば、その者たちは臆病者であると宣言していた。」これらのことがヨセフスによって記録されている。

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