『ヨハネによる福音書注解』第一巻 第七章 福音において告知された良いこと(オリゲネス)

さて福音との名称の意味が何であるか、そしてこれらの書がなぜこの題を持つのかについて調査すべき時だろう。ここで福音とはあることについての約束を含む談話であり、それは自然と、またそれらのもたらす諸々の益のために、その約束を聞いて信じるならすぐに聞き手を喜ばせるものである。さもなくばその談話は、我々が聞き手の立場についての言及によって定義した福音では全くない。福音は何か良いものの実際の現れを信じるものたちに暗示する言葉か、あるいは期待される良いものの到来を約束する言葉である。さてこれらの定義は福音[書]と名付けられているこれらの書に適用できる。というのも福音[書]はそれらを信じ、それらを誤解しない者たちに役立つ諸々の告知の集まりなのである。それは彼に益をもたらし、彼を自然と喜ばせる。なぜならそれは、全ての被造物の長子である[コロサイ1:15]キリスト・イエスについて、人々のため、彼らの救済のために人々と住まわったことを告げるからである。そしてまたそれぞれの福音は、あらゆる信じる者たちにとって明白なように、御子のうちなる善き父が、彼を受け入れる心を持った者たちと共に住まわることについて告げる。そして更にこれらの書によって、決して分かりにくくない、かねてから期待されていたある良いことが告知されている。というのも洗礼者ヨハネは、彼がイエスのもとへ遣わして尋ねたとき、民のほとんど全体の名においてこのように話した。[マタイ11:3]「あなたが来たるべき方ですか、それとも我々は他の者を待つのですか?」 というのも民にとってメシアは期待された良いものであり、預言者たちが予告し、彼らが、律法と預言者たちのもとにありながら、みな同じように自分たちの希望を彼に定めていたのである。それはサマリア人の女が、このように言って証言している。[ヨハネ 4:25] 「私はキリストと呼ばれるメシアが来ることを知っています。彼が来たとき彼は全てのことを我々に告げます。」 シモンとクレオパも、イエス・キリスト自身に起こった全てのことについて互いに話しているとき、[イエスは]復活していたが彼らは彼が死者の中から復活したことを知らずに、このように話した。[ルカ 24:18-21] 「『あなただけでエルサレムに住んでいて、最近そこで起こった諸々のことを知らないのですか?』そして彼が『何のことですか』と言ったとき、彼らは答えた。「ナザレ人イエスに関する諸々のことです。その者は預言者で、行いにおいても言葉においても神と全ての民の前に力がありました。そして祭司長たちと我々の統治者たちが彼を死刑に渡し、十字架につけた次第[に関すること]です。しかし我々はイスラエルを買い戻すべきは彼であると望んでいました。」 また、シモン・ペテロの兄弟アンデレは自分の兄弟シモンを見出して彼に言った。[ヨハネ 1:42]「我々はメシア、すなわちキリストと訳される者、を見出した。」そして少しあとでフィリポはナタナエルを見出した彼に言っている。[ヨハネ 1:46]「我々はモーセが律法において書いた、また預言者たちがその者について書いたところの者を見出した。ナザレの出の、ヨセフの子イエスである。」

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