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いいことノート

どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。

今日は
不登校になってから続けていること
について書いていこうと思います。

不登校時代に読んだ本のひとつに

寝る前に
今日あったいいことを3つ書くといい

と書いてありました。

題名もこれ以外の内容も忘れましたが
その本を読んだ後
いいことノートを作り
毎晩いいことを3つ書くようにしました。

なんで実践しようと思ったのかよく覚えていませんが
その本に
これをするとよくなる的なことが書いてあって
これをやれば今の暗黒状態をどうにかできるのではないか、という気持ちからやり始めたのかなぁ…
ほんとにそのあたりの記憶は曖昧です。

いいことノート1日目は
通信制高校への編入の話が出ていたとき(不登校状態になって1年半くらい)でした。

その頃は外出に対する拒否感も和らぎつつあり

学校に行かんままやったらこれからどうなるんやろ?

と自分の今後を考え始めた時期でした。

将来は全然見えないけれど
かといって学校には絶対に行きたくない
でも親は転校させてでも学校に行かせようとする
このままじゃいけない
変わらなければ…

いろんな思いがぐるぐる渦巻いていました。

そんなときに
いいことノートに何を書いていたのか。

学校から逃れたいのに逃れられない
親は自分のことをわかってくれない
嫌なことばかり

そんな状態でいいこと3つ…

最初はなかなか思いつかなかったです。

いま読み返してみると
ほんまにそんなこと思っとったんか?
というようなことも書いています。

でもとにかく
「いいこと」を書いていました。

ときどき
ほんとに最悪なことしかない日があります。
全く「いいこと」が思いつかない。

そんな日は

洗濯物がよく乾いた
空がきれいだった
味付けがうまくいった

などなど
「いいこと」といえるかいえないかぐらいの
小さな「いいこと」でノートを埋めていました。

そんなこんなで
いいことノートを書き続けるうちに
日常の小さなしあわせに氣づけるようになりました。

乗り継ぎがうまくいった
とか
バスの運転手さんがありがとうって言ってくれた
とか
きれいな景色に出逢えた
とか

いままでは当たり前だと思っていたことに
感謝できるようになっていったのです。

この世界には
小さなしあわせが溢れているようです。

こころを閉ざしていたころは
その小さなしあわせに氣がつかなかった。

というか不登校以前にも
当たり前だと思って素通りしていた。

不登校になって
いいことノートを書き始めて
小さなしあわせが目にとまるようになった。

そんな小さなしあわせが
少しずつ少しずつ積み重なって
こころの暗闇が晴れていったのです。

このいいことノート
実は今も書き続けています。

たまに読み返して
このときはそんなことを思っとったんか…(しみじみ)
と思い出にふけります。

なんで書き始めたのか
続けられたのかさっぱりわからないけれど
やっていてよかったなぁと思います。

当たり前のことに感謝できるようになると
世界の見え方がガラリと変わるんだなぁ。

不登校という
当たり前でない状態(だと当時は思っていた)になったからこそ
当たり前のことが当たり前にできることの有難さに氣づけたのかな、と思ったり。

いいことノート
いまの私の世界の見え方を形作っている
大切な習慣です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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