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なぜ学校に留まり続けているのか

どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。

今日は
学校から逃げたいと思いながらそこに留まり続けている理由について書いていこうと思います。

私はいまだに「学校」に留まり続けている。
7年前から、逃げたくて逃げたくて
仕方がなかったにもかかわらず。
ほんとは退学したい。すごく。

ではなぜ留まり続けているのか。

いろいろ考えて

学校に行くこと
そして
そこをきちんと卒業すること

この2つが母に愛される最低条件だと
私は思っているらしいということに気づいた。

言い換えると
母に愛されなくなるのが怖くて、怖すぎて
ほんとうは死にたくなるほど嫌で苦痛でたまらない学校に留まり続けている
ということである。

私にとって「学校」に留まり続けることは
母に愛されるための最後の砦なのだ。

「母に愛されること」と「学校に行くこと」

この2つが私の中では非常に強い因果関係で結びついている。
それがなぜかは、まだわからない。

「学校」にいるとボロボロになる、自分が崩壊する

それは高校のときから確信している。

それなのに出られない。
いまならやろうと思えば退学できるのに
それでもできない。

いままでの学費が無駄になる
学費を出してくれた親に申し訳ない

これも後ろ髪を引かれるもののひとつではあるが、正直、そこまでそんなふうに思っていない、ということに最近気づいた。

そもそも行くつもりもなかった大学に行かせたのは母だ、と今でも思っている。
予備校を選んだのも、そこに通ったのも、大学受験したのも、全部私だ。

だが、その動機を突き詰めると

これが(これさえ)できなかったら母に愛されなくなるかもしれない
これが最後のチャンス
できなかったら見捨てられる

という恐怖心に収斂されていくように思う。

それほどに母に愛されなくなる、見捨てられるということが怖かった。

そう考えると
母が条件つきでしか私を愛さなかった
のではなく
私が条件つきでしか母の愛を受け取れなかった
と言えるのかもしれない。

それほど私は「私」という存在に自信がなかったのだろうか。

無条件で愛されるわけがないと思っていたからこそ、条件つきでしか愛情を受け取れなかった。
そう思えていたら、条件などつけずに母の愛情を受け取れていたはずだ。

ではなぜ私は「私」という存在に自信を持てなかったのか、いや、持てなくなってしまったのか。

つまるところ、私は母から愛されたいのだ。
それが「私」という存在を確かたらしめる唯一の方法であるように思うから。
愛されないと思い込み、信じ込んでいるにも関わらず、それでもなお「母は私を愛している」と思いたいのである。
そのために、母に愛される最低ラインとして「学校」に留まり続けている。
母に愛されなくなるくらいなら、ズタボロになってでも「学校」に留まり続けるほうがマシだ。
自分が崩壊するよりも母に愛されなくなることのほうが怖い。ただひたすらに。

なんと歪な愛のカタチであろうか

最後までお読みいただきありがとうございました。

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