バレンタイン事情 CASE1「江里透哉」

▼登場人物紹介
江里透哉(えさと-とうや)
世に『天才』として認識されている新進気鋭の画家。
アトリエとして一軒家を所有しており、同居人である時瀬侑李さんと共に暮らしている。芸術以外のことはさっぱり出来ないため、人間らしい生活が出来るのは時瀬さんのお陰。

江里廣隆(えさと-ひろたか)
透哉の親戚。小さい時に彼に絵を描く楽しさを教わり、現在美大に通っている。他人と喋ることが出来るけど、コミュ障気味。
チョコレートが好物で、バレンタインの催事には一人で乗り込むことが出来る系男子。



発端は、正月気分も抜けきった一月末のことであった。

ある日の夜、江里廣隆は携帯電話を前に慌てていた。
表示されるディスプレイには『透哉くん』の文字。
自分が絵画の道に興味を示すようになった、発端の人物からの連絡だ。
彼のお陰で、結果として今楽しく絵を描いていて、感謝の気持ちと尊敬の念を抱いているが為に尚のこと慌ててしまう。
自発的に連絡などほとんど寄越したことがないからどうしたのかと動揺し、一度深呼吸を……としている内に時間は経過していくことにまた焦る。
コールが途切れようとした瞬間、漸く通話ボタンを押すことに成功した。

「こ、こ、こんばんは、透哉くん。電話なんて、珍しいっすね」
『……、……間が悪かったか? 忙しければ改めるが』

声はいつも平坦なので機嫌を損ねたかは分かりにくいが、恐らくまだ大丈夫だろう。
すー、はー、と改めて深呼吸をして、廣隆は口を開いた。

「いや! 全然! 大丈夫っす!! 透哉くんから電話だって思ったら緊張しただけっす!」
『……正直だな、お前』

余計なことを言ってしまったと顔に手を当て、落ち着く気配のない心に翻弄されていると、透哉の言葉が続いた。

『まあ、いい。廣隆、お前チョコレートに詳しかっただろう』
「……は、え? チョコレート? ああ、まあ……毎年バレンタインに催事に行くくらいには好きです」
『なら心強い。少し相談がある』

自分の好きなものを覚えていてくれたんだと言うことと、『相談』の一言に一瞬喜んだが、そういう場合では無いのだろうと何度目かになる深呼吸をしてから返答する。

「そ、相談って、なんすか?」
『毎年バレンタインにプレゼントを貰うから返そうと思って。あの時期のチョコレートなら、珍しいものもあるだろうかと思ったからお前の評価を聞きたい』

淡々とした声に乗る内容にしては、興味があり過ぎて首を傾げる。
毎年プレゼントを貰う? 新進気鋭の画家と言う触れ込み……実際そうだが、そうして忙しく活動している彼にもしや彼女が? 居るのか??
聞きたい気持ちと、踏み込みすぎて怒られたくない気持ちがせめぎ合って、結局触れないことにした。
親戚だし聞いたら教えてくれそうではあるが、物凄く嫌がりそうだ。廣隆はそう結論付けて、頭の中でカタログを広げた。

「あ~、成程成程。えと、……もう情報出てるから、いくつか絞って送りましょうか」
『そうして貰えると助かるよ』
「了解っす。透哉くん、予算とか気にしない人でしょ? 手頃なのから注目のところまで色々調べておきますね」
『ありがとう。……悪いな、用件はそれだけだ』
「いやいや! 全然!!」
『ああ、……そうだ、廣隆』
「はい」
『年賀状、今年もありがとう。上手くなったな』
「!!」
『それじゃあ』

ぷつりと切れた通話をそのままに、廣隆は驚き目を丸くしたままでいる。
じわじわとこみ上げる嬉しさに携帯電話を握りしめ、ぷるぷると震えていた。
一頻り喜びを嚙みしめた後、意気揚々とリストを作る。
評価を聞きたいとの仰せだ。どの辺りがオススメポイントであるかもしっかり書いて、明日には送れるようにと準備に取り掛かった。

翌日夕方、アトリエにて。
作業を終えて携帯電話を見た透哉は、廣隆が言った通りにリストを送ってくれたことにくすりと笑う。
予想以上に仕事が早い上に、丁寧なコメントが添えられている。

「そこまで急がなくても良かったんだが……折角だ、ありがたく見せてもらおう」

透哉の大きな手には少し小さい携帯電話のディスプレイに指を滑らせ、ひとつひとつ眺めていく。
スクロールしてもしても続くリストに驚きを隠せなかったが、全て見終えて息を吐いた。

「……菓子の世界も奥が深いな」

形ひとつ取ってみても、いろんなものがあるのだと知った。
どれならば喜んでくれそうかと考えながら、もう一度初めから見てみることにする。
自分は毎年貰う側だったが、侑李もこうして毎年考えているのだろうかと思うと不思議と頬が緩んだ。
普段、大して表情の変わらない彼には珍しいことである。
そうして、ひとついいなと思う物を見つけた。
写真で見ての判断だが、添えられたコメントを信頼しての決断だ。
これと決めたのだからと早速注文をして、届く日を確認する。

「だが、これだけと言うのもな……。今まで返したことも無かったのだから、……もう一つ何か添えるか」

口に出して、随分と酷いものだと苦笑した。
お返しだ、と何か品物を用意したことはない。
それでも毎年「気持ちだから」と贈ってくれて、透哉は当たり前のように受け取ってきた。
今更ながらに恥じ入る気持ちにじわじわと苛まれているが、だからこそ、今年はちゃんと返そうと思い至れたのである。
注文時に確認したところ、到着日までは二週間ほど。チョコレートは、バレンタイン当日に届くらしい。
幸いにして、仕事は多少の余裕がある時期だ。それだけ時間があれば……と、彼は小さく頷いた。

「贈り物だと言うには少し驕っているとは思うが……」

意図はきっと、汲み取ってくれる。……なんて、甘え以外の何物でもないのだが、甘えであると自覚はない。
今は兎に角チョコレートに添える「気持ち」を示すため、小さなキャンバスを作って絵筆を取る。
言葉よりも曖昧なものだが、確かな感謝を籠めて筆を走らせ色を乗せていった。

喜んでくれるだろうか?
そんな気持ちで絵を描くのは子供の時以来だが、存外あたたかな気分になるものだ。
そうして生まれた一枚の絵は、きっと彼の気持ち同様、春の日のようなあたたかさを覚えるものかも知れない。

……さて、明日は果たしてどうなるのか。
願わくば、よい一日となりますように。


・あとがき
どうしても、リアルタイムで投稿したくてお時間頂きました!!!

2023-02-13

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