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断想:noteで右だ左だ騒ぐほどアレじゃないので冗談ですよ。


みなさんこんばんは。前々回の断想でも登場した公園で、またちょっと形容しがたい光景に出合いまして。

帝都N区。人はめちゃくちゃ多いけど、まだまだのどかな風景が残っています。だから住人も都心のど真ん中ほど多様性と先進性を兼ね備えているわけでもなくて。

ちょっと濃い顔立ちで英語をしゃべっている男子高校生二人が手を繋いで仲良く歩いていましてね。おぉそういうのもアリだよな、悪くないよなと思いながら微笑ましくみていたんです。そしたら…

「FXXKIN' SDGs !!」

英語が堪能でないので、細かいことは聞き取れませんでしたが、このフレーズだけははっきりわかって。彼らがケラケラ笑っていたのでつられて吹いてしまいましたよ。

ええっと…そっか…サスティナビリティ(持続可能性)とダイバシティ(多様性)は別だもんなそうだよなということに気づかされたのです。これは私の偏見かもしれませんけど、なんだか一部の界隈の人のせいで両者がごっちゃになっていることありませんか?

言葉の意味が混同しやすいってのもありますけども、なんというかその考え方が、寛容だったり優しさだったりをモットーとしているせいでしょうかね。この混同のせいで逆に窮屈な社会になってはいませんかね?という。

さらに偏見なんだけど、上述の彼ら若いし、たぶんゴミの分別しないと思うんです。きっと高校でゴミ捨てるときにプラと紙分けろとか言われたんでしょうね。そりゃ高校生からしたらFXXKですわ。

いっぽうで、男同士でいちゃいちゃしてもしかしたら恋人同士なのかもしれないっていう、多様性の面では彼らは進んでいますね。

だから時折ごちゃごちゃになるサステナビリティとダイバシティの区別。これはプラと紙のゴミ分別とともにしっかりしたほうがいいよな、と思ったんです。みなさんはごっちゃになってないならいいですが、私は時折わからなくなるので。

よく考えてみると、人と人が恋愛感情に落ちるとき(←語るのか?)、種の継続と保存という観点、つまりサステナビリティ(←めんどくせえ単語だな)では異性と交わることが理に叶っていますよね。でもでも、現代のダイバシティ(←だりぃな)の観点では、それと相反する感情も是とするんですよね。

だからなんだって話ですが、ちょっとしたパラドックスで面白いなと思った次第です。

異性を口説くときは「これはサステナビリティ活動の一環だ」と言って落とし、同性を口説くときは「これはダイバシティ活動の一環だ」と伝えましょう。そうすればきっとわかってもらえます保証しないけど。

ちなみに、これまた別の断想で綴った自称リベラリスト兼ビーガン、ドナルド・トランプのことちょっと支持するし普段肉喰わないけどバーベキューだけは例外だって言うモンティのことも思い出しました。彼、矛盾してるよね。

いやいいんですよ矛盾して当たり前。そんなすっぱりと割り切れるわけないんです。あぁそうだ、ちょうどアメリカでは、右(共和党)でも左(民主党)でもなく、割り切れなくて結構だっていうスタンスの中道(前進党)ってのが出てきたそうですね。いまさらかよって話ですが。

さて色々書いてきましたが、大日本帝国地底軍終身名誉劣等兵を自称し、「土土日日祝祝祝はたらきませんしぬまでは」をスローガンとする甘枝は、別に政治的な主張などここでするつもりもありません。加えてノンポリを宣言するほど高尚じゃないし、noteで右だ左だ騒ぐほどアレじゃないので冗談ですよ。あ高校生のエピソードはほんとう。

ということで秋の夜長、みなさん心地よくお過ごしください。










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