断想:おまえら普段からそんなに耳朶打たれてんの? ~文中の記号的表現について~
noteに滞在しているみなさん、とりわけエッセイや日記ではなく文学作品を投稿されている方であれば誰でもいちどは考えたことのある話題かと思います。いまさら私などが取り上げなくてもという話でありますが、ちょっとやはり気になるので。
相変わらず巷の創作には、「~かしら、~だわ」女性らしい喋り方、「~じゃ、~かね?」老人らしい喋り方などのステレオタイプが残っていて、それは作家に楽をさせます。レトルト食品や出来あいの惣菜を買ってくるようなものです。そして本筋がそこにフォーカスされていなければ、別に誰も気に留めないものかもしれません。
気になりますけどね。
語尾やキャラ付けのための記号が容易に用いられることが出来あいの惣菜なのであれば、いまから私が挙げる表現はたとえば「卵かけご飯専用醤油」だとか「ヒマラヤ産の岩塩」でしょうか。
たいしておもしろい作品でもないのに、たいした筆力もないのに、その表現を使っておけばなんだか上等に見えるような常套句が使われていることってありませんかね。
私が気になるのは主にこれらです。
「かぶりを振る」
「こうべを垂れる」
「踵を返す」
「たたらを踏む」
「(A)と(B)の顔を見比べる」
「耳朶を打たれる」
おまえら普段からそんなに耳朶打たれてんの?
私、決して読書家じゃないからせいぜい月に1冊程度、文学作品に絞ったらその半分くらいしか読まないですけど、たたら踏まれすぎだしかぶり振られすぎじゃないですかね?
J-POPの歌詞が、桜舞い散りすぎて両手広げ過ぎてるのと同じですよ。
「かぶりを振る」→「首を振る」
「こうべを垂れる」→「うなだれる」
「踵を返す」→「帰る」「引き返す」
「たたらを踏む」→「よろめく」とか「(勢い余って)飛び出る」とか
「(A)と(B)の顔を見比べる」→「(A)の様子も気になったけど(略」
「耳朶を打たれる」→「爆音聴こえてぴーぽぽぽp」
私の場合だけかもしれませんが、どれだけ没入していてもこれらの表現が出てきた瞬間にいったん意識がそっちにいっちゃいます。あ、やってんな、ヒマラヤの岩塩使ってんなって。
別に作品がおもしろければいいんですけど、岩塩が良い味だしてればいいんですけど、もうちょっとオリジナリティとかそういうの、書いてるほうとして欲しないんですかねと思います。
別に!作品がおもしろければいいんですけども!
上記の慣用句はいずれも、近代に入ってからの表現だとは思います。文語体と口語体の狭間に落ちた言葉たちなのでしょうか。その辺の詳しい調査はもっと言葉好きな方だったり研究者の方がどこかで述べているんでしょうね。
拙い考察で恐縮でございます。いっちょまえにエラそうにね。
さて今夜はM-1グランプリの決勝がありますし、ワールドカップの決勝もあります。両者が同日(現地時間)にあるのっておそらく後にも先にも今回だけなような気がしていましてね。
みなさんごきげんよう。冷えてきましたのでお身体ご自愛くださいね。