『ドラゴンボールの息子』その13「僕と父の東映アニメフェア」
僕には子供の頃に、心から楽しみにしていた
『お祭り』がありました。
みなさんはお祭りと聞いて、
なんの行事を思い浮かべましたか?
花火大会……? ハロウィン……?
クリスマス……? いやいや!
そこは、『東映アニメフェア』でしょ!!!
もはやこの単語だけで、懐かしさに悶えている方がいらっしゃるかもしれません。
90年代、おそらく日本中の子どもたちが楽しみにしていたアニメ映画のお祭りです!
念のために、今の若い人たちのために説明しておきますね(笑)
東映アニメフェアとは……
当時の東映動画(現・東映アニメーション)が『春休み』と『夏休み』の時期に、数本のアニメ作品をセットにして同時上映していたもの。
この写真を見て頂ければ、
なんとなーく雰囲気が伝わるかと!
そして、この当時の『東映アニメフェア』の中でも大人気だったのが、父・小山高生が脚本を担当した劇場版『ドラゴンボール』でした。
なんと僕は、そのご縁があったおかげで丸の内東映で開かれる『試写会』に親子で毎回参加をさせてもらっていたのです。
普通は試写会に参加しようと思ったら、少年ジャンプやVジャンプの懸賞に当たらないといけないんですから、今考えると「なんて贅沢なおぼっちゃまくんなんだよ!」と自分でもツッコミを入れたくなります。
ですがこれは当時、脚本の執筆と弟子の育成で多忙を極めていた父が僕にしてくれた、貴重な『家族サービス』だったのです。
脚本家になった今なら、春と夏の年に2本、劇場用作品の脚本を書き続けていた父がどれほど大変な思いをしていたのかがよくわかります。
当然まだ子どもだった僕は、
父のそんな苦労も知らずに、
そろそろかな……
そろそろかな……!!!
と、いつも楽しみに待っていました。
「明日は試写会に行くぞ」
父にそう言われると、僕はまさに、
胸がパチパチするほど騒ぐ元気玉状態!
いつも小学校に行く時はなかなか起きないくせに、その日ばかりは早朝の6時台からバッチリ目を覚まして有楽町へと向かっていました。
僕たち親子が映画館の前に到着すると、そこには試写会に招待された人たちが長蛇の列を作って並んでいました。
しかし、父と僕は申し訳ないことに「関係者」として皆さんよりも先に入場させてもらえるんです。
「お父さん、すげぇー!」
この時ばかりは、父がまるで『スーパーマン』に見えました。
そしてまずは、関係者の皆さまとの挨拶がありました。
今考えると、おそらくは監督やプロデューサー、鳥山先生の担当編集者さんとお話をしていたのか……うわぁ、恐ろしい(笑)
そしてまだ子供だった僕は、東映アニメフェアを観に行くともらえる「紙の帽子」をかぶって得意げに座席に着いたものです。
ネットで拾った画像ですが、こんなやつ!
『うわぁー! 懐かしいーっ!』って思ったそこのアナタ! 僕と同じで、なかなかいい年齢の方々に違いありませんね(笑)
それから映画が始まると、もうワクワクして、ワクワクして……僕は食い入るようにスクリーンを見ていました。
でも、肝心の「ドラゴンボール」はなかなか始まらないんですよ!
なんたって、メインディッシュですからね。
あぁ……昔話をしていたら、当時の映像を見たくなってしまった(笑)
試写会に来場されていた多くの人たちも、やはり僕と同じく「ドラゴンボール」の登場を待っていました。
今では信じられないかもしれませんが、「CHA-LA HEAD-CHA-LA」が流れるオープニング映像に悟空、ベジータ、トランクスの登場シーンで「キャー!」という黄色い歓声が沸き起こるくらいでしたからね。
そのスクリーンの中には、僕の隣に座っている『小山 高生』の名前が出てくる。
この時ほど、自分の父親を誇りに思うことはありませんでした。
「どうだ、おもしろかったか?」
上映終了後、そう言って僕を見る父の姿が少しだけカッコよく見えたものです。
そして映画を見た後は必ず、当時のプロデューサーだった「森下孝三」さんとの食事会がありました。
演出家としても様々な作品を世に残され、現在は東映アニメーションの「会長」さんになられた方です。
その食事会で僕は、必ずと言っていいほど映画の感想を求められていました。
そりゃそうですよね、子どもの生の声が聞けるいい機会なんですから。
でも、そういう時の子供というのは本当に正直なもので……
『今回はあんまり面白くなかった!』
なーんて、普通に言ってましたからね!!!
隣に座っていた父は、いったいどんな気持ちだったことでしょう(笑)
なにはともあれ、東映アニメフェアは僕にとって大切な想い出の『お祭り』なのでした。
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