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『ドラゴンボールの息子』その17「父に俳句を習うの巻」

僕がまだ、小学5年生だった夏の頃の話。

国語の授業で『俳句・川柳を作ってみよう』という課題が出ました。

なんでも、東京都主催の小学生俳句コンクールが開催されるらしく、学校のみんなで作品を応募することになったようなのです。

俳句ってなんだか、難しそうだなぁ……
僕の第一印象はそんな感じでした。

家に帰って母にそのことを相談すると、それは父に教わるのが1番だと言うのです。

てすが、当時の父は山ほど作品を抱えていたので、僕は子供ながらに『こんなことを相談したら怒られるんじゃないかなぁ……』とビビっていました。

その夜、僕が恐る恐る『俳句を教えてほしい』と頼むと、父は意外なほどあっさりとそれを承諾してくれました。

今から、散歩に行くぞ

そう言って、父は僕を外に連れ出しました。

こんな夜に出かけて、いったいなにをするつもりなんだろうと思っていると、父が俳句や川柳についてこう教えてくれたのです。

俳句や川柳ってのはな、お前が今、見てるものや感じたことを五・七・五の文字数の中で表現するんだよ

これは今、改めて思い返してみてもいい教え方だったと思います。

さすが父ちゃん、脚本家!笑

これを聞いた僕は、父と夜の遊歩道を歩きながらさっそく一句詠んでみました。

夏の夜、虫の音ひびく、散歩道

どうですか?
5年生にしては悪くないですよね!?

厳しかった父も、この句は褒めてくれました。

これは普段、怒られてばかりだった僕にとって、本当に嬉しい体験になったのです。

こうして、僕はすっかり俳句や川柳を作ることにハマってしまい、日々の生活の中で見たもの、感じたことを次々と五、七、五のリズムで詠みはじめました。

ちょうどこの頃、僕はようやく少しだけ家事の手伝いを始めていました。

中でも、うちの母に代わって『お米を研ぐ』のが僕の担当になりつつあったのです。

そこで僕はお米を研ぐことで喜ぶ母の姿を見て、『米研いで、母を楽させ、喜ばす』という川柳を詠みました。

それからは、シャカシャカシャカシャカとお米を研ぐ毎日が始まったのです。

僕も親孝行が出来ているという実感あったので、米研ぎにやりがいを感じていました。

しかしそんな生活も毎日のように続いて行くと、『なんで僕だけが、お米を研がなくちゃいけない』という不満が少しずつ溜まってくるものですよね。

さらに、最初は僕が手伝うことを感動したかのように喜んでくれていた母も、いつのまにかそれが当たり前になってしまったのか、お米を研ぐ僕を褒めてくれることも少なくなり、空いた時間をのんびり過ごすようになりました。

『なんか、損してるんじゃないか……?』
※子供が親を手伝うのは当たり前です。

僕の中のリトル小山が、そう囁き始めます。

まだ5年生なんで、リトルリトル小山かもしれませんが(笑)

さて、そうこうするうちに俳句・川柳コンクールの応募締め切りがやって来ました。

僕たち生徒には授業参観の中で、コンクールに応募する作品をひとりずつ発表する機会が与えられました。

さぁ……ドラ息子、いざ反乱の時っ!!!
僕は自分の番になってこの句を詠みました。

米研がず、母は楽して、寝転がる

こうして授業参観で恥をかかされてしまった母は、その日から再びお米を研いでくれるようになりましたとさ……

『ペンは剣よりも強し』
革命は一夜にして起こったのであります。

ごめんね、お母さん(笑)

今の僕から、昔の僕に詠んでやりたい。
ぼんくらが、生意気言うな、ドラ息子』と。

おかげで大人になった僕は、せっせと親孝行をせざるを得ない立場になってしまったよ。

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