小笠原彬

大田区立雪谷中学校→私立二松學舍大附属高校→学習院大学→筑波大学生物学類多様性コース卒…

小笠原彬

大田区立雪谷中学校→私立二松學舍大附属高校→学習院大学→筑波大学生物学類多様性コース卒業→近畿大学通信教育部図書館司書コース修了見込みというか司書課程合格

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「裏実装とsleepの魔法使い」

裏実装と言えば隠れた説明である。sleepの魔法使いは説明にsleepの魔法をかけて眠らせる。眠った説明は隠れた説明となり、裏実装となる。要は、裏実装の隠れた説明はsleepの魔法に掛けられていて使えない。現実世界に隠れた説明はつきものだ。極端なことを言ってしまえば、現実世界がawakeningの魔法にかかっており、夢の世界がsleepの魔法に掛けられているのである。覚醒と睡眠はループする。覚醒している人々は睡眠を同時に体験するであろう。awakeningとsleepのループ

    • 「公明正大な取り決めと洗脳」

      公明正大な取り決めと洗脳は同一視できる。洗脳とは教育であり、映像である。韓国なら鶏と卵の関係の衆人環視ネットワークの仲間入りをすること、日本なら公的な機関に対して資格認定を受けること。要は耳を揃えていることが必要である。公明正大な取り決めは洗礼であり、洗脳と同一視できる。洗礼には洗礼者が必要である。そう、表の世界で公的に認定を受けて洗礼を受けたところで、本音と建前の本音の部分で洗礼のハブを受けてしまうことがある。そうした場合には本音と建前による防衛が必須で、建前では例えば司書

      • 「迷信のコーティングと隠れた説明」

        迷信のコーティングは存在する。これは本当のことだ。隠れた説明はsleepの魔法にかけられていて使えない。隠れた説明をいかに明示的に説明するかが重要だ。明示的に説明すれば使える説明になる。迷信は根拠がない隠れた説明だから、使えない説明。迷信を明示的に説明して、根拠を付加してやれば正しく使える説明になる。オカルト界では使える説明なんじゃないのという方、何かデータとかあるんですか?オカルトのマナー違反、迷信なので、オカルトのマナーである、鏡像自己がそれを取り締まる。

        • 「洗脳とコーティング」

          洗脳は人の脳に教育のコーティングをすることと同じである。要は親が子供に渡す教育がコーティングであり、洗脳なのである。信じることはコーティングという根拠に基づいている。信じさせるためにもコーティングは必要である。信じさせるためにコーティングを相手にする。この営みは原始人類にも遡れる。コーティングを相手にせずに何かを信じさせることはおおよそ困難であり、根拠のない迷信という恐ろしく脆い基盤に頼って人を操ることはできるのであろうか、いやできない。なぜならば、根拠がないからである。根拠

        「裏実装とsleepの魔法使い」

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          「タオと家」

          タオは容器である。壺とか言ったりする。家も容器である。東洋医学漢方では悪鬼の仕業で病が起きる、要は悪鬼が自分の内臓に入り込んで悪さをするから病気が起きる、タオの理屈である。しかしながら、漢方ではメーンで経口接種薬を投与する。それは胃腸の不思議な力を信じているからである。睡眠薬も一度胃腸に取り込まれてから脳に作用する。ケミカルな世界に明るければ、それは受容体特異的な物質だからとわかるが、睡眠薬が一度胃腸に取り込まれてから脳に輸送されるとはおおよそ信じ難い、ができてしまうのが胃腸

          「タオと家」

          「医は仁術」

          医者はオカルトと現実の境目を誰よりも知っている。私はオカルトで心臓と肺を強奪されたことがある。その時も医者が提示してくれた心臓と肺のエコーとX線検査の教養で助かった。オカルトと医学的根拠に基づく解剖学的事実とは異なる。その切り分けこそが仁術なのである。また、手術を行う手先の器用さもまた仁術をなす元手であろう。さっき言った心臓と肺の強奪はオカルトで言うならば、教養で強奪というところに行き着くだろう。調べたことを他人に教えるこれも立派な授業であるから、オカルトのマナー教養で強奪が

          「医は仁術」

          「pretendと裏社会」

          我々は見られている。とは、パーソンオブインタレストの格言であるが、我々はより卑近な例えで言えばオカルトによる衆人環視から逃げることはできない。我々は常に見ているし、見られているのだ。そして、オカルトの裏社会ではあらゆる情報がリークされ噂が噂を呼んでいる。我々は現実社会で職業に従事するなり、普段の生活を謳歌するなりしているが、心の内側では常に誰かに監視されているのである。外側の衆人環視と内側の衆人環視、どちらも極めてこその人である。要は内外の違いがほとんど見られない人が理想とさ

          「pretendと裏社会」

          「根拠とデータ」

          噂とデータは異なる。これは当たり前のことだが、自分の妄想がデータに裏打ちされていることなどあろうかいやない。自分があらゆる妄想から脱出して自分の人生を生きたいというあなた根拠を問いただしてみてください。それで生まれ変われます。その根拠は?何かデータとかあるの?それも公明正大なる根拠がないと正しくない。これは当たり前のことだ。僕のいた研究室のメンバーは妄想が酷かった。その根拠は?何かデータとかあるの?この質問に弱い。世の中の事柄を詳らかに見ると、妄想か当たり前のことかを区切る境

          「根拠とデータ」

          「図書・図書館史」

          言いたいことは過去と現代の対比です。それによる持論の展開。だから、過去はコンパクトにまとめる必要がある。持論が重要視されているので、歴史の客観的事実はシンプルにまとめてしまっていいと思います。よくネット上でオタク並みの知識を披露して満足しているレポートを見かけますが、必要ありません。知識よりは持論の展開が必要とされています。また、過去に遡り、詳しいことを調べ過ぎて現代が抜けている場合もありました。こう言ったレポートは再提出対象だそうです。合格レポートは過去と現代の対比をして、

          「図書・図書館史」

          「情報資源組織論」

          求められているのは対比と問題の同一視です。対比:二つのものをつき比べること。と辞書を引くと出てきます。対比ではこの分野ではこの用語はこうだけれど、別の分野ではこの用語はこういう場面で使用されるということを表しています。問題の同一視は一見別の問題に見えるが、問われていることは同じであることです。ここまでは問われている内容についてです。書き方についてレクチャーします。端的に言って教科書の書き直しです。例:必要とされている→求められていると書き換えること、こういう書き方が本質的には

          「情報資源組織論」

          「pathとpass、ラカンの聖書より」

          pathは国家資格の取得で通る。国家資格は集団の合意に基づくからだ。passed the exam官吏登用試験に合格で晴れて集団の合意に基づく国家資格を取得し、pathが通るのである。path:通り道である。pathが通ると、馬頭観音呪が使えるようになる。それもその国家資格に限定して。例えば医師ならstealの魔法=馬頭観音呪(解剖学に基づく説教)、diagnosticsの魔法=馬頭観音呪(診察に基づく説教)という風に。司書なら構成の因縁=馬頭観音呪(文書の構成に基づく説教)

          「pathとpass、ラカンの聖書より」

          「母親の観察日記」

          オカルトを信じさせられていると、目眩も止まらないし、幻聴もうるさい。そうした中で日々の生活でもらう母からの叱言は痛打である。それを僕は卑怯だで片付けた。それに今では僕にはオカルトの水増し請求が味方についている。オカルトの世界では時は戻せるのだ。蒸し返しと無視返しの掛け呪、stealの呪いで盗まれたが、ロールシャッハテストで強奪し返した。幻影の中で僕はトイレの呪いと闘っている。王権神授説によれば、パスを通すにはパスザイグザムしてる必要がある。つまり、国家資格がパスを通す決め手に

          「母親の観察日記」

          「独りよがりの父親」

          僕はオカルトを信じるかというと、信じないようにはしているけれど、信じさせられているが正解である。父親によればそれは病気なのだという。父親によれば調べても出てこないものは存在しないから額面通りに世界を受け止めればいいのだという。しかし、それは僕にとっては「病気の元を植え付ける教育」である。父親は仲間入りをさせる気など毛頭ないのだ。建前ではそう言ってるだけで鵜呑みにした瞬間にいや本音でははぶっていましたと後から告げる。建前では字面読み、本音では字面読みのハブ、これが恐るべき父親の

          「独りよがりの父親」

          「天皇陛下万歳」

           最も高次の欲求は「自己実現」だとされている。これはフロイトの提唱した概念であると思われがちであるが、実際にはマズローの言った学説であり、上位数%のみが到達できる欲求の段階である。最後は社会貢献に行き着く、これを自己実現と呼んでいる。ある社会から弱者や脅威を排除すること、これもまた自己実現である。超人思想とこの場合は言うかもしれないが。いずれにせよ階級社会が自己実現の礎である。階級社会のトップは当然自己実現している、超人でもある。  卑近な例を挙げよう。裏社会のボスというと、

          「天皇陛下万歳」

          「文章の欠陥と整理の重要さ」

          noteで自分の書いた文章が変なことに気づいた。それも決めつけている節があるようである。整理して人に伝えることの重要さを肌身で感じた。人に伝える際、整理して書かれている文章でないと額面通り受け取ってくれない場合が多い。何が重要かは最後の方に書いてあることの方が多い。これからは文章の組み立て方を他のnote民から学ぶとともに、逆茂木型の文体により慣れていこうと思う。

          「文章の欠陥と整理の重要さ」

          「一番古い話」

          人間は大昔、狩りをしていた。そういう時には、女性が洞穴の中で家事をしていた。松明は夜間行動の際、必要になってくる。子育てはもっぱら女性の仕事である。つまり、子の男性の親が狩りに出ている間、子の女性の親は子に教育をする。ただし、子が男性の場合、成人後に父親は子を狩に連れて行く。今回対象にしたいのは男性諸君だ。大昔は狩りをする男がいたが、現在ではコンピュータによる未来予測やデータ分析する男性がAIに取って代わられない人種とされてる。理論を教えるのは女性、実際を教えるのは男性、これ

          「一番古い話」