地球を旅するマキヨ

すべての人を輝かせ、ただただ自由に美しく世界を平和にしたい。主任ケアマネジャーとして忙…

地球を旅するマキヨ

すべての人を輝かせ、ただただ自由に美しく世界を平和にしたい。主任ケアマネジャーとして忙しくも誇りを持ち働いていた時、仕事を辞めることになり体調を崩しまったく動けなくなった。鬱だった。そこから自分を整え、【自分らしく好きなことで生きて行く】ことを大切にし始めた。コーチング、ライター

最近の記事

立派でないと生きられないと思っていたわたしが好きで得意なことで生きる話

「マキヨちゃんは立派だね」 その人は、いつもわたしのことをそう言って褒めてくれました。血のつながりのない『おばちゃん』。幼いわたしにとって心休まる場所だったし、お腹を空かせることがなかったのも、おばちゃんのお陰。 でも、この言葉がわたしを苦しめていたなんて、わたし自身がまったく気づいていないことでした。 立派なわたしであるために 「天職だと思う」 大学を卒業し、特別養護老人ホームに就職しました。おばあちゃん子だったわたしには、お年寄り相手の楽しい日々でした。 ある時

    • 子どもが生まれる前の記憶を聞いていたら本にしたくなった話①

      「ママー、てんしってどこにいるかしってる?」 歳の離れた3人兄弟の末っ子、次男が2歳くらいのときでした。おひるねする前にベッドに横たわった次男は、にっこりして幸せそうに話し始めました。「えーそんなことってある!?」という話の数々。本当か想像か、どちらともつかない次男の記憶。 でも今となっては、それらはとてもキラキラとした輝きを放ち、かけがえのない物語となっています。幼かった日々を思い出しながら、淡い記憶をたどってみます。 生まれる前はみんな天使だったんだよ「てんしってね

      • 子どもの誕生日に幼かった日々を思い出す

        8/26は長男の誕生日でした。何も欲しいものがない子で、上と下の子とは大違いです。上も下も、誕生日プレゼントに欲しいものを聞くと、いくらでも出て来ます。ところが長男は、これまでも欲しいものがなくて誕生日プレゼントがなかったことが何度もありました。 上の子は21歳女子。1人暮らしでお金のやりくりを覚えたため、スーパーで果物を買うのは贅沢だと言っています。 下の子は小学3年生男子。今ならまだ何者にでもなれて何でも手に入る、無敵状態で生きてます。そのまま大きくなれよと思う母です

        • 儚い夏の思い出

          子どもの頃の夏休み。毎年のように母に連れて行かれる場所があった。 そこは無垢材とビー玉を使ったおもちゃ作家の方の工房だった。保育士をしていた母は、仲間の保育士親子とともに、夏休みの数日間、その工房で寝起きをともにしながら過ごしていた。わたしも3歳年上の姉と毎年参加していた。 そこは岐阜県の山あいの村で、かやぶき屋根の大きな工房の隣には美しい川が流れていた。子どもたちは毎日、川で遊んだ。いつしか年長者になって来たわたしたち姉妹は、幼い子たちの遊び相手をまかされていた。今思え

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