まきちゃんという女の子
みなさんこんにちは。
山育ちで小学校まで片道1時間の通学路を英語っぽい歌を作って歌いながら歩き、野良仕事をしているおじさんが「あれー?外人の子か?」って思っちゃうんじゃないかなー!とドキドキわくわくしながら、忍者のような走り方をしたら早く家に帰れるような気持で走っていたまきちゃんです!
ここでは私がどんな風に育ってきたのか、どんな子だったのかを幼少期から振り返ってご紹介したいと思います。
まきちゃんは生まれた時から負けず嫌い。
竹馬、こま回し、かんかんぽっくり、縄跳び、鉄棒、お絵かき、工作、ホッピング。チャンピオンになりたくて、褒められたくて仕方なくて。竹馬の高さはどんどん上げていくし、コマを手のひらで回せるまでやる。
鉄棒のプロペラも一番にできるようになりたくて、学校についてから始業までずっと鉄棒、放課後は門が閉まるまで鉄棒、うちに帰ってからも鉄棒。手は豆だらけ。
2歳年上の兄はいつも私のライバルで兄にできることは自分もできないと気に入らない。そして、一番じゃないとすぐに拗ねる。
家族も手を焼きお友達からの評判は最悪。
妹ができて自分が一番になりたい気持ちはますます加速。
お友達との遊びは自分の都合のいいルールを作り言うことを聞かないと線を引いて要塞作り。
予防接種はぜったい打ちたくないと上り棒のてっぺんに登って刑事ドラマみたいに説得され、口を切って出血して救急車が来た時も親の車に隠れて逃げ切り。
そして気に入らない子とお遊戯で手をつなぐときにはお友達の手のひらにギリギリと爪を立てて嫌がらせ。
そんなまきちゃんでした。
このことは当時の保育園の出席手帳に先生のコメントが残っててうっすら記憶もある。先生悩んでたのか「この件はまたお母さまとご相談させてくださいね」なんて書いてあったりして。申し訳なかったな。
周りが困ってても我が道を往く
とにかく猛烈な性格のまきちゃん。
小さいころから上手になるには反復練習がいることをよくわかってたようで、何かにつけて繰り返し練習。
父親のを真似して口笛を吹いたり、手で鳩笛を吹いたり、8トラのカラオケで歌を練習しまくったり。とにかく熱中。
ドッヂボールは敵を全滅させる勢いで猛特訓。壁にむしろをかけてもらって日暮れまで投げ続けていました。
そんなマキちゃん、年中さんからヤ〇ハ音楽教室に通いだしました。
お教室のレッスンは好きじゃなくて家での練習はほとんどせず、好き勝手オルガンを弾く日々。
オルガンを好きになった一番古い記憶があるの。それはこんな記憶。
保育園の山の向こうの兄の通う小学校から風にのって校歌が聞こえてくるの。ブランコこぐと特によく聞こえて。いつも聞いてるうちに覚えてしまって保育園のオルガンでひきだしたのね。私の人生初の耳コピだね。保育園の先生がびっくりして、このことは母からよく聞かされていまだに覚えてるんだ。
型にはまりたくない性格だからレッスンや譜面通りに弾く練習は耐えられず、それでも中の下くらいの出来で中2くらいまでは通ったかな。
ヤマハで学んで一番役に立ってるのはカデンツ。
これがカデンツ↓
曲調に合わせた伴奏をアドリブでつけていくの。いちばん楽しくていまでも覚えてる。
コードも勉強できたのは今の音楽活動の役に立ってるかな。
さて、熱中するものが中学になったらバスケになり、高校になったらハンドボールになり。いつも何かができるようになることを楽しんでた子供時代をすごした。
三つ子の魂百までというけど基本的な性格はこのころからあまり変わってないのよね。
自分で自分を自己中で相当嫌な奴だと自覚があったからこんな私と仲良くしてくれるお友達はなんて心が広いんだろうといつも思ってた。それは今もね。
世の中はほんとに優しいひとばかり。
さんざん多目にみてもらってきてるのに人のわがままや失敗を責めたりしたらバチがあたるだろうなと思ってる。
だから
みんなありがとう‼️
以上がまきちゃんという女の子。
また思い出したら書くね。
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