あらためて、人の失敗を笑わないようにしたい
表現したい人が失敗した時、
「よくわからない」
「何を言ってるかわからない」
「何を言いたいかが伝わらない」
って思われる。
どうせ、わからないよ。って、わからないことが前提の表現は、成功してる。
わからない。ってことを表現しようとしてるから、それは、うまくいってる。
でも、本当は、理解されて認められたいのに、どうせ、わからないよ。って思うのは、失敗を失敗と思いたく無いからなんだと思う。
誰だって、失敗は怖い。
それなのに、他人の失敗に対しては、
「よくわからない」
「何を言ってるかわからない」
「何を言いたいかが伝わらない」
と思い、
ついでに、
もっと、こうすればとか、もっとこう言ったほうがとか、アドバイスをしてしまう自分がいる。
でも、それって、人の失敗を笑わないまでも、その失敗の尊さを見失っているような気がする。
失敗は、本人が自分で認めて、立ち直るってプロセスが不可欠で、他人が口出せる領域では無い。
それを、自分で繰り返した時、はじめて、表現することの難しさを知ることになる。
その時、はじめて
「よくわからない」
「何を言ってるかわからない」
「何を言いたいかが伝わらない」って
言わなくなる気がする。
誰にでもわかるような失敗は、誰にでもわかるような解決策がなんとかしてくれる。
問題なのは、「よくわからない」ことなのだ。
「言いたいことは、なんとなくわかるんだけど」なのだ。
伝わるようになっていれば、場所を変え、人を変えれば、どうにかなることはある。
でも、表現したい人の失敗は、その前の伝わらない、よくわからないところも大きかったりする。
僕は、そこもひっくるめて
あらためて、人の失敗を笑わないようにしたい
と、思った。
いただいた分、頑張ったりはできないかもだけど、 何かいただいたら僕は、 ちぎれるほどシッポを振って喜びます。