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最初から丸くなる必要もないけど、かといって、尖ろうとしなくてもいい

嫌われることを恐れて、言いたいことが、何も言えない。ってあると思う。

そう言う時、最初から丸くなる必要はない。ってアドバイスが有効な時がある。

嫌われることを恐れて、言いたいことが、何も言えない。ぐらいなら、思いっきりぶつかって、言いたいことを言い合う。ってことをオススメしているわけだ。

ために「喧嘩すれば?」とか「それ、相手に言ったの?」なんてことを言われることがある。

僕の場合、そう言われた時に、喧嘩ってどうするんだろう?とか、うーん、って言っても、相手になんて言うかな?って考えてしまう。

そこで、考えに考え抜いて、尖るキャラ的な、言いたいことを言う性格みたいなものかな?そういうものになればいいのかな?って思ってしまう。

たぶん、本当は、自分の思ってることを言う。ことって大切だよね。って話だけなんだと思う。

でも、僕は、なんていうか、自分の気持ちとか、思ってることを伝えるというのが、決定的に人間的に、欠落してるのだ。

個人的な性格によるものかもしれない。気質なのかもしれない。また、日本の教育のシステム上、そうインプットされてるかもしれない。

だから、自分の思ってることを素直に伝えないまま、尖ってしまう。喧嘩の部分だけが一人歩きしてしまうのだ。

僕は、最初から丸くなる必要もないってなったとき、尖ろうとしてしまうのだ。

そうすると、気持ちや思ってることを伝えないわけだから、周りも相手も、なぜ、尖ってるのか理解できない。

ために、ただただ、関係性だけが悪くなっていく。

僕は、このパターンをいくつか繰り返していくうちに、ようやく、自分の気持ちを伝えるということが、極端に欠落してることに気づくことになる。

しかし、これもよく考えてみると、できる相手には、できる。言いたいことを言える相手には、言えるのだ。

実際のシーンを後で思い浮かべると、なぜ、言いたいことが言えないんだ??って後悔するけど。次に、言いたいことを準備して、そのシーンに居合わせても、実際は、言えない。

それを、言おうとすると、無理して、尖ることになってしまう。

自分で、想定する、言いたいことですら、実際に相手を目の前にすると言えないものなのだ。

だから、周りがどんなにアドバイスして、言いたいことを言ったら?って言っても、なにしろ、本人がシミュレーションして言えないものを、アドバイスぐらいで言えるようになるはずもないのだ。

だから、僕から送るアドバイスとしては、

最初から丸くなる必要もないけど、かといって、尖ろうとしなくてもいい

ってことだ。

君の言いたかったことは、君が丸くならないためのものだと思う。でも、かと言って、それを、無理に言う必要もない。

すでに、君は、生きるために全力を尽くしてると思っている。生きてるだけで丸儲けな世の中では無く、生きるので精一杯の世の中だと思うからだ。

だから、嫌われることを無理に恐れないようにしなくてもいい。好かれたいなら全力で好かれようとしていいと思う。

他人からのアドバイスなど、どちらでもいいし、どうでもいいのだ。

最初から丸くなる必要もないけど、かといって、尖ろうとしなくてもいい

いただいた分、頑張ったりはできないかもだけど、 何かいただいたら僕は、 ちぎれるほどシッポを振って喜びます。