たいていの努力は、一日置きになり、週一になり、忘れられていく
とある、有名な人が、インタビューされて、こう言っていた。
「飲みに行ったり、付き合いとかしないんですか?」
「遊んでたら、結果出ないですからね」
努力は、努力って思った時点で、目的を持ってしまう。
「何のためにやってるかわからなくなった」そういう人がいる。
そういう人のたいていの努力は、一日置きになり、週一になり、忘れられていく。
「何のためにやってるんですか?」そう聞く人がいる。
そう聞く人のたいていの努力は、一日置きになり、週一になり、忘れられていく。
何のために?っていう目標なり、目的なりができると、それが、得られなければ、また、恩恵が無くなるとやらなくなる。
もちろん、誰かに責められたり、いじめられたり、いじめられてることを気づかなかったり、自分がみじめになることが怖くて気付けなかったり、そういう時は、頑張らなくていい。
攻撃してる相手の期待に応えようとしてるだけなので、それは、やらなくていい。
だって、それは、自分のためでもなんでもないから、やらなくていい。
でも、本当に、自分のために、努力をしたくなったら、何のために?とか、考えなくていい。
努力というものが、どこぞの動画やセミナーで言うような「誰がやってもうまくいく1ヶ月で爆速集客メソッド」みたいに、誰がやってもうまくいくものなら、努力に価値はない。
だって、誰がやってもうまくいくっていう保証があるなら。誰が乗ってもオリンピックの100mの金メダリストよりも速く走れる車に乗ってスピードを出せても、何の自慢にもならない。
当たり前のように思うかもしれないが、本当に、誰がやってもうまくいくってのは、そういうことなのだ。
何のためかもわからない。自分でもよくわからない。
でも、
「遊んでたら、結果出ないですからね」ってのだけは、ハッキリしてる。
たいていの努力は、一日置きになり、週一になり、忘れられていく。から離脱して、
何のためかもわからない。自分でも何をやってるかわからない。
でも、やってみたい。もっと続けてみたい。ってところまで、増やしていく。
自分のやってることを、そういうふうに、育てていくところに、努力の価値が見えてくるんだと思う。
自分を生きる。って、たぶんそういうことだと思います。
いただいた分、頑張ったりはできないかもだけど、 何かいただいたら僕は、 ちぎれるほどシッポを振って喜びます。