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日本のどこかに私を待ってる人がいるんだろうけど、なぜ、それを見つけられないのか?

いい曲には、いい歌詞と一緒に出来上がる。とは、思っていて、

日本のどこかに私を待ってる人がいる。という、歌詞の曲がある。

昭和を代表すると言ってもいいぐらいの、名曲中の名曲なんだけど、

でも、僕は、思う。

なんなら、スケールアップして、ワールドワイドに、辺境という名前が似合う国でもいい。流浪の民が安住を求めて最後に行き着く土地でもいい。私を待ってる人がいるのなら、それは、行ってみたい。

しかし、僕は、見つけられない。

私を待ってる人は、絶対に、いるとは、思う。絶対にいて欲しい。

SNSが発展して、世界中の人とコンタクトが取れるようになったけど、依然として、私を待ってる人は、見つからない。

僕は、思う。

その、私を待ってる人というのは、ずいぶんと、私を探すのを手を抜いとるんじゃないか?

それなのに、私のSNSアカウントには、アラブの謎の男性から、ビジネスの話と困窮の話がセットになったDMばかりが、やたらと来る。

私を待ってるって、そういう意味じゃない。

だけど、よく考えてみたら、バレンタインデーのチョコも、親からしかもらったことがない僕としては、親が、その待ってる人ってのに、当たるって、そりゃそうなんだろうけど、納得いくような、いかないような気もする。

じっくりと、語られても、正論は、どこまでも正論で、納得しようとしても、納得いかないなにかがある。

自分から、どうしたいか言わないと!

それも、そう。

行動したり、言ってみたりしないと!

それも、そう。

わかっては、いるんだけど、なんか、言ってみたいわけなんだ。

日本のどこかに私を待ってる人がいるんだろうけど、なぜ、それを見つけられないのか?と。

いただいた分、頑張ったりはできないかもだけど、 何かいただいたら僕は、 ちぎれるほどシッポを振って喜びます。