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しくじりに対する違和感

しくじりを語り、俺みたいになるな、みたいなのが、にわかに流行りそうになった。

もしかしたら、流行る可能性もあるので、僕は、できるかぎり鎮火させたい。

そもそも、しくじりに対する違和感は、どこからくるか考えた。

2つある。

1つは、ちょいワル武勇伝の延長、もう1つは、不良が普通になっただけ、というところだ。

1つ目は、あまり、説明の必要もないが、念のため。

昔は、俺も悪かった。と、語られても、それと、似たような切り口の話を言われても、それが、面白いのは、人気者だからなだけで、一般人がやっても、聞かされる方がつらい。

それに、ちょいワルは、誰だったかな、いじめの昔話が、本当で、全ての仕事がキャンセルになるほどの大問題に発展した。

しくじりと、自分で語ることで、何かしらの自白すれば刑は軽くなる要素を期待するが、むしろ、刑が確定する可能性がある。

聞いてる方も、そんなこと言われても、困るって話も出てきた時に、同意も、犯罪、って可能性は、0では、無いのが恐ろしい。

それに、しくじりをわざわざ語る理由が、俺みたいになるな!と言いつつ、今の俺とのギャップ、との、うすら自慢が違和感の匂いの元みたいなことだと思う。

もう1つは、不良が普通になっただけってことだ。

こち亀で、お前らなんか勘違いしてないか?って話がある。

散々人に迷惑かけて、やりたいようにやってきたやつが、普通になっただけで、偉いわけがないだろう。って話だ。

「本当に偉いやつは、悪いこともしないで、真面目に生きてるやつだ。」


「そうやって、言うからひねくれるんじゃないか?」

他の同僚が言います。


「いや、そうやって、むしろ、普通になっただけなのに、持ち上げるから調子に乗るんだ。」と返します。


しくじったのは、勝手に本人がしくじって、好き勝手やって、迷惑かけただけだ。

それが、普通になっただけで、何を語ろうというのか?

本当に偉いのは、真面目に、迷惑もかけず、仕事をしてる人だ。


僕が、ちまたの、「しくじり語り」に対する違和感というのは、こんな感じだ。



いただいた分、頑張ったりはできないかもだけど、 何かいただいたら僕は、 ちぎれるほどシッポを振って喜びます。