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ショートショート3 ありふれた朝の風景



カーテンの隙間から日差しがちょうどわたしの顔に伸びていた。
眉根を寄せて手で顔を擦り瞼をあけた。半身を起こしカーテンを少し捲ると地面は濡れている。雨は斜めに降り注いでいた。どうやら風も強いらしい。家の前の道路にあるはずのないゴミたちが風に舞っていた。ふぁ~と情けない声を出し伸びをすると、ベッドから足をおろした。身震いを起こす。寒い。木々たちが色付き木の葉たちが地面に広がり風に乗っている。寝巻を着ていても寒さを感じるから北国は嫌だな思うことがある。冬になればわたしの膝程の高さまで雪が積もるのだ。
 「早く起きてくださいよ。ごはん冷めてしまいますよ。」
 「おきてるよ!」
 リビングで朝ごはんの支度をする母からだった。父は去年、病死してしまい母と二人で暮らしている。母は一人でわたしを見てくれている。この歳になったとはいえ、子育ての大変さは想像もつかない。
そんなわたしにも母にイラついてしまう事が多くなった。些細な質問、わたしに投げかけられたわけでもない言葉に反抗的な態度をとってしまう。反抗期。自分でも自覚はある。何てことない会話にわたしはいつも反発してしまうのだった。
 「ったくそんな言い方、なさらなくても」
 遠くから母のそんな声が聞こえるような気がした。
 腰が痛い。日ごろの生活が体に堪えるようだ。わたしは剣道部だ。地区大会で初めて優勝した時、母の喜びようが忘れられなかった。
その笑顔を見るのがわたしには幸せな時間だった。だが、わたしは母にきつくあたってしまう。大会の時に作ってくれた玉子焼きの味が好きだった。お疲れ様!と言って一緒になって昼のお弁当を食べてくれるあの暖かな時間が脳裏に焼き付いている。母は何よりも自分の事を大切に思ってくれていて他に変え難い存在なのに辛く当たってしまう自分がもどかしくて嫌になることもあった。尊い存在だと分かっているのだが。

 リビングに入ると暖房機の熱がわたしの身に纏い、台所から母がまな板を包丁でリズムよく叩く音がなんとなく気持ちよく感じる。沸騰した鍋に味噌が溶けてお湯と一体化していく。その湯気に乗ってわたしの鼻腔に香りが刺激する。まな板からねぎと豆腐を鍋に落とす音も心地よくなるのだけどわたしは素っ気ない態度で空腹を堪えながら無言に座る。テレビからは綺麗な女性アナウンサーが芸能ニュースを読み上げる姿があった。不倫の話題で盛り上がれるなんて平和な国だ。お隣の国ではミサイルを発射し、大国と大国が睨みをきかせ一触即発状態だというのに有名タレントが謝罪会見をしている様子が映し出されている。
「もうすぐできますので座っていてください。」
 母は台所を向いたまま言う。
母に声をかけずリビングにいたわたしは言われる前から席についていた。
「もう座っていらしたのですね」
 返事のないわたしを気にして言った。振り向いた母の顔がはにかんでいるように思えた。母はフライパンに油を流す。気泡が破裂するような音が鳴り、そこに溶き卵を流した。さらに小さな破裂音が鳴り卵は、固まり焼きあがってきた。焼ける匂いが空腹を増す。
あの玉子焼きだ
「さあできましたよ。食べましょうね」
そう言って母は卵焼きを皿に盛りつけた。皿を持ちわたしの座るテーブルへ運んできた。するとリビングにある固定電話が鳴った。
「先に食べていてくださいね」とニコリと笑みを作り電話に向かう。
 ハイハイと言いながら受話器を手に取り、もしもしと言う。
その表情はわたしに向けていた物とは違い辛辣な影を見せていた。
電話の相手は誰だろうかなんて気にすることもなく目の前の食事に気を向けた。
 食卓には白米、みそ汁、鮭の塩焼き、玉子焼き、お漬物が並んでいた。
 玉子焼きに醤油をかけ箸で切り取り口に運ぶ。醤油の香りが口に広がりそれを追うように卵本来の甘さが舌に残る。白米を口に運んで卵の味を一旦、かき消すとみそ汁を流し込んだ。みそ汁に入ったねぎの食感と豆腐の柔らかさがいいアクセントになってまた白米に手を伸ばす。
「うん。いつもの事だから大丈夫よ」
電話口で母は言う。わたしには何のことかわからない。声が篭もりがちに感じる。
わたしを一瞥して背を向けた。
小声で話を再開したようだった。
白米を咀嚼している間に鮭の塩焼きに醤油をかけ大根おろしを乗せる。身をほぐし口に運ぶ。大根の辛さとほんのりとした塩味が舌に広がる。すかさず白米を口に運び咀嚼する。思わずうまいと声にでた。
 母をちらりと見ると電話対応していて聞こえていないようだった。
 ほっとしてしまう。時刻は七時二十分を迎えようとしている。テレビでは星座占いのコーナーがやっておりわたしの星座が最下位だということをどうでもいいなと思いながら漬物を口に運びコップの水で流し込んだ。
 「母さん!学校遅れるからもう行くぞ!」
 母はまだ電話口にいた。
 「私は疲れてなんかいませんよ」
 電話で何話しているんだよと思いながら母をもう一度呼ぶ。
 それでも電話の向こう誰かと話しを続ける。

「朝練があんだからいくからな!」
 「えぇこの人と出会った時から私はずっとそばにいるって決めているんですもの」
 「母さん!」
 「朝はいつもこんな感じよ。」 
母を通り過ぎて靴を履こうと玄関にいく。
 様子を母はちらりと見た。

 麻衣は母を心配していた。北海道の実家を出て十年が経ち今は埼玉の田舎町で夫と子供三人で暮らしている。今年麻衣は三十二歳になる。母は父を一人で介護していた。
 正人は五歳になり物事がはっきりとわかるようになってきた。
 「おじいちゃん元気?」
無垢な笑顔で麻衣に言う。
 「元気だよ。正人また会いに行こうね」 
 「おばあちゃんも元気?」
 「うん。元気だよ」
 「すぐに会いに行けないけど声聞きたいなー」
 そう言ってちらりと電話の方をみた。
 時刻は七時十五分。刹那、逡巡を巡らせた。 
 「保育園を遅刻できないから少しだけだよ」
 やったーと満面の笑みを見せ麻衣に抱きついた。スマートフォンを取り実家の番号にダイヤルする。
 「もしもし」と言った母の声はどこか疲れているように思えた。
 「母さん疲れてない?」
 電話の向こうから母さん!と大きな声が聞こえていた。
電話口から聞こえる麻衣の声が私の支えに感じる。
 「正人がね。おじいちゃんの声聞きたいっていうんだ」
 「あらうれしいね。でもちゃんと電話で話せるか不安だわ」
 「お父さんっていつからだっけ」
 「定年退職をしてからすぐだったかしら?仕事人間でね。やる事なくなって」 
 「近くにいれなくてごめん。何とかしたいけど」 
 電話口の向こうから正人がおじいちゃんは?と呼ぶ声がする。
 「変わりましょうか」
 「お願い。正人おじいちゃんの事好きだから」
私は夫と結婚して30年になる。
麻衣が生まれ巣立つまで幸せな時間を過ごさせてもらった。2人で暮らし始めた時も夫は懸命に働きその仕事人生を全うしてくれていた。
退職後は旅行に行きましょうねと約束していたが、一、二ヶ月後から夫の様子がおかしくなり始めたのを覚えている。

 「たくっ!もういくからな!」とふてぶてしく言うと後ろに母が来た。
 「修作さん。お電話ですよ」
 「学校あるっていうのに電話なんてでれるかよ」
 「いいから出てあげてください。」
 舌打ちをしながら受話器を奪うようにとった。
 受話器を取ると向こうから幼い声で
「おじいちゃんだ!元気?僕のことおぼえてる?」と聞こえる。
 わたしは母を見、
「いたずら?」と問う。 
「いいえ。正人からですよ」
「正人?誰だそれ」
 母はあきれ顔で答える。 
「やっぱり、またお忘れなんですね。」
訝しげな顔を母に見せる。 
「正人は私たちの孫ですよ」
 わたしはその言葉で頭の中で何かが走るのが分かった。
「修作さん。孫が声聞きたいって言っているので出てください」
「あ、あぁ」
 わたしの記憶が蘇る。娘の麻衣、正人、妻の顔。
 学生時代、剣道の地区大会で優勝した事。父はわたしの幼い頃に亡くなり母子家庭になった事。
「おじいちゃん。また北海道に行くからね。待っててね。」
 また忘れ、思いだし、また忘れてしまう。 
 娘の顔も孫の顔も愛すべき妻の顔も。
「あぁ正人に会えるのを楽しみにしているよ」
 わたしは泣き出しそうな声を堪え答える。
 この会話も正人の声色も私の記憶には残らない。
 電話を終えると妻が言う。 
 「雨が止みそうなので後で散歩でも行きましょうか?」
 「ああ、行こう。朝日が綺麗だな」
 夜が明け朝が来れば、いつもと変わらない我が家のありふれた風景が来るのだろう。
           
                             了

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