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『いのち』を生きるとは何か?/『ものがわかるということ』を読んで。


こんにちはー!まきです。


先日、養老先生の
『ものがわかるということ』を読んでみました♡


この本を読みながら、
ものすごく受け取ることが多かったので
本を引用しつつも、最近感じていたことを
表現したいと思います♡


じっくり読みというより、
流し読みで読ませて頂いたので
解釈が異なる点もあるかもしれませんが、
受け取ったことをツラツラと述べつつです♡



以下、感想をシェア↓



この本は、正直なところ
これが答えです!こう生きましょう!
という事は書かれてはいません。


だけど、物事を考えさせる余白のようなものは
すごく感じられました。


先日読んだ、『君たちはどう生きるか』に
通づるところがあります♡





最近、私個人すごく感じているのですが、

情報社会になって以降…
この『余白を読む』ということが、
できる人とできない人の差が開いているのを
感じます。


本を読む時間すら、惜しいから
動画で、既に結論を述べているものを
流し読みする…といったような、

知りたいのは結果。答え。


であって、

その文章の奥に流れている、
意識や感覚を受け取る
…ということの少なさ。


ですが、これってすごく
『貧富の差』にも繋がっているなぁと
思ったりします。


どういうことかというと、

考える力がある人、汲み取れる人、
思考できる人というのは

『生産者』になる可能性が高く、


与えられた答えや情報のみを
受け取り続ける人は

『消費者』になりやすい、と感じるのです。


(生産者と消費者のお話しは、
『君たちはどう生きるか』に書かれています♪)



さてさて。

この本には、
『この世界には答えはない』というような
ことが書かれています。



本当に、それはその通りだと感じていて、
(宇宙の法則みたいな、普遍のものではなく)


情報を受け取り続けた『消費者』の方ほど、

人生の正解は何?
どうすれば効率よく生きていける?
辛い思いをせずに、楽して幸せになれる?

その答えを他者=情報に求めたがります。


ですが、この世界は
一人一宇宙というだけあって、

その答えは、どれだけ情報を入れたとしても、

あなたがその知識を、肉体に落とし、
身体で表現してみる。

実際にやってみることでしか、

『わかる』ということは起こり得ない。


…というのが、
この『ものがわかるということ』で
語られていることでありました。



当然、実践に移すという事は
うまくいくこと/いかないことが生まれます。

むしろ、失敗することもたくさんあります。

効率も悪いし、時には辛い思いもします。

ですが、それが血肉となり、
『わかっていく』ことになった時に、

やっと表現が、できるようになります。


そして、人々の心を打つ文章や
コンテンツというのは、

単なる知識ではなく、
その人オリジナリティの、
体験から基づく『深み』。

体現をしているひとの発信こそが、
魅力的だと、私個人は思うのです。



…とはいえ、
私自身も、情報を入れ続けていた時期がありました。


知っていることによって
何らかの流れに乗れているんだと安心したり、
知ることで、それが仕事に繋がるはずだ!と、

沢山のインプットを行ってきたものです。


こうした、コンテンツを提供する人間は、
確かに、ひたすら知識を入力し続けるという
時期が、必要になる場合もある。


でも、その時の私の心は、
いっつも、不安や不足でいっぱいでした。


やり続けないと…
得続けないと…
私には価値がないんだ…と、


ある種、躍起になっていた部分もありました。





ある時、
全てのインプットを辞めたことがありました。


もう、私はこのままで十分だと、
自分で信じたい。


『まだまだ』
『もっともっと』と感じ続けるのを辞めたい。

と思った時に、

全ての情報を入れることをストップしたのです。



すると、私は全然『わかっていない』ことが
分かりました。

知識は、単なる知識であって、
自分という人間の『浅さ』を、痛感したんです。


それからは、

私という人間が
何を感じているのか?

私から湧き上がる感覚や、
自分だけの叡智は何か?


得てきた情報を実践してみて、
どう自分が変化してきたのか?

注目するようにしました。


=やっと、肉体につながり直したんです。
生きる、を始めたんです。



すると、何よりも
一番大きく変わったのは、

こんなにも世界は『安心』だったのか…

ということが、わかったんです。



そして、このままの私で表現していくことに
価値があり、それを良しと思ってくれる
人が現れてくれることに、気付いたんです。



何を、得ようとしていたんだろうか。



何もなくても、私は私という素材、質、
感情、体験全てがコンテンツであり、
最初から全てを持っていたのだ、と。


本でいう、
肉体があるという事自体がすでに個性的だと
書かれている内容のことに、気づいたんです。




すると、必要な事は
全て内側から起こるようになってきました。

私よりも私を『知っている』意識から
情報を頂ければ十分だったんです。





今は、再びインプットを始めてみました。

ですが、その『前提』が、昔とは違います。

私は、このままの私で大丈夫。
全て必要なものはある。

その上で、より自分の感性を磨きたい。

という、『ある』前提に、変化したのでした。






もし、情報を入れれば入れるほど不安になる人は、

一度、勇気を出して全てのインプットを
辞めたらいいと思います。


私は、情報の『消費者』になり続けていたのだ…と気がついた時に、


やっと、自分の人生が見えてきます。

何も『わかっていない』ことがわかります。



そして、最初から
この世界は安心だった事に…


情報から離れることで、感じられると思います。




あなたは、あなたでいること。

そして、あなたを体現し、表現することが、

人々を魅了していくのだと、気づくこと。


それが、『いのち』を生きるという事
だと
思うのでした♡



そんなことを感じさせていただける
素晴らしい書籍でございましたー♡
オススメ!(笑)

ではではー🥰

今日もお読み下さりありがとうございました!

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