ユーレカの日々[56]タイプライター・パラノイア/まつむらまきお

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初出:2016年10月19日発行 日刊デジタルクリエーターズ

ひさしぶりにレンタルビデオ屋を覗くと、一本のビデオが目を惹いた。「タイピスト!」というフランス映画。

タイピストという言葉を見るのはずいぶんひさしぶりだ。ぼくが子どもの頃、テレビで外国映画やドラマを見ると、女性の事務員は必ずタイプライターを叩いていたものだ。日本映画やドラマではみかけないその光景は、ずいぶんとカッコイイものに見えた。

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●映画「タイピスト!」の一本指打法

この映画「タイピスト!」は1958年のフランスを舞台にした、ラブコメディだ。タイピングが得意な田舎娘が、都会で秘書として就職し、その後、タイピングコンテストで世界一を目指すという、「マイ・フィア・レディー」もの。

主人公のタイピングは当初、一本指打法。人差し指でものすごいスピードでキーを叩きまくる。その様子がとても愛らしい。

今から35年ほど前の大学生時代、パソコンに興味を持ったぼくは、一冊の入門書を買った。その本の最初の章にはこう書かれていた。

「最初にすべきことは、タイピングを憶えることである。なぜならパソコンは、プログラムを入力するにせよ、データを入力するにせよ、キーボードを扱う必要があるからだ。キーボード操作が煩わしければ、パソコンを使うことが煩わしくなる」そして、折込で実物大の「キーボード配列」がついていた。

今の人にはピンと来ないかもしれないが、当時、パソコンというのは自分でプログラムを作ったり、打ち込んで使うのが基本。様々なアプリもあったが、パソコンを使う=プログラムを作る、という時代だったのだ。

だからこの教えはとても説得力があり、ぼくはその折込ページを切り抜き、実際にパソコンを買うまで毎日、エアタイピングに励んだ。

貧困女子がパソコンを買ってもらえずに、キーボードだけを買ってもらったというエピソードがこの夏、ネットで話題になった。ぼくはニュース映像は見ていないし、ネットでは、貧困か否かばかりが話題になっていたが、キーボードだけを買うという行為に、ぼくはとても共感してしまった。

そうなのだ。キーボードこそが、メディアという、向こう側へ行くための入り口なのだ。

●活字はメディアだった

映画の冒頭、夜中にこっそり、主人公が店の売り物のタイプライターで自分の名前をおそるおそる、打つシーンがある。指先から文字が、言葉が紡ぎ出される。彼女がタイプライターに魅了される瞬間だ。

ああ、この感じ! ぼくが大学時代、パソコンに魅入られた瞬間そのものだ。最初のパソコンMSXを親に借金して買って、それを下宿の14インチのテレビに繋いで、自分がキーボードで打ったコマンドが、テレビに表示された瞬間。

ぼくの時代のテレビが、彼女の時代の活字だったのだろう。活字もテレビも「特別な人たちが作ったもの」であり、一般の人はそれを受け取ることしか出来なかった。

だから、自分がタイプした文字が、紙やテレビの上に表示されるということは、「向こう側」へ行くパスポートを手にしたような気分だったのだ。

●ホームポジション!

当初は一本指でも充分速かった主人公のタイピングだが、はじめて挑んだ大会で敗北してしまう。最初は不要だと突っぱねていた、ホームポジションでのブラインドタッチを社長からたたき込まれることになる。

ぼくにとって、昔からタイプライターはあこがれだったが、どうやってあれだけたくさんのキーを操るのか、不思議だった。先のパソコン入門書には、その秘密も説明されていた。

それが「ホームポジション」だ。キーボードのFに左手の人差し指、Jに右手の人差し指を置く。動きやすい人差し指は、その上下と内側の6つのキーを担当する。動かしにくい中指と薬指はそれぞれ、上下のキーのみを担当。小指は上下に加え、リターンなどの機能キーを担当する。

重要なのは、キーを打つときに、他の指はホームポジションから動かさないこと。そして、打ち終わったら速やかにホームポジションに戻ること。これにより、指の移動は最小限で済み、慣れればキーを見なくてもタイピングできる。ああ、そういう秘密があったのか! なんと理にかなった操作方法なのだろう!それならたしかに、たくさんのキーを操ることができるわけだ。

そんなわけで、エアキーボードの練習は当然、ホームポジションを指で憶えることだった。だから、ホームポジション以外の打ち方で、それなりに早く打てる人を見ると、今でもすごいなぁと感心してしまう。

●ローマ字変換もすごい

ローマ字変換、というのを知ったのは、大学の研究室でパソコンに触れた時だ。自分のMSXではソフトがないので、文章を打つのはローマ字か、カナを直接だった(漢字もOSではなくソフトに内蔵されているような時代だ)。

研究室のワープロでは、ローマ字を打つとカナに変換され、単漢字ごとだが、漢字も表示することができた。

ローマ字というのはよく出来ている。50文字ある日本語を、たったの15文字で表現してしまう。そして、母音と子音の関係は、50音表の表記(縦に母音、横に子音で、その掛け合わせで50音が構成される)そのままなので、日本人にとって、とても理解しやすい。

小学生時代にはじめてローマ字を習った時は、その暗号のような仕組みが面白くて、いろんな言葉をローマ字で書きまくった。この50音、出来たのは近代かと思っていたら、室町時代には成立していたそうだ。

ローマ字入力は、タイピングにも適していた。日本語のキーボードには50音が割り振られているが、それを憶えなくても、たった15のキーを憶えれば済むのだ。10本の指で15の位置だから、ホームポジションでも楽勝である。

さらに、日本語では英語混じりで書くこともあるので、英文と和文を一度でマスターできる。反面、どうしたって、一文字打つのに二つのキーが必要なので、速度には限界がある。カナキーでブラインドタッチできる熟練者には敵わない。

日本においては、タイプの普及=パソコンの普及だったが、黎明期にはカナ入力派と、ローマ字入力派の二大派閥にわかれていた。今、カナ入力派はどれくらいいるのだろうか。

ローマ字変換入力のおかげで、日本でもすっかりキーボードが定着したのだが、未だにうっとおしいのが、日本語と英語の切替、そして、ローマ字表記とスペル表記の問題。

たとえば、コンピューターという単語。ローマ字で入力するときは、konpyu-ta-と入力し、英語で入力したい時は、英文モードでcomputerと打ち込む必要がある。

もっとも、最近は日本語モードでcomputerと打っても「コンピューター」に変換してくれたり、逆にkonpyu-ta-から「computer」に変換もできる。Google検索ではいつ頃からか、ローマ字打ちでもちゃんと日本語検索してくれるようになっていて、ずいぶんストレスはなくなった。

それでも、日本語と英語の切替は面倒だ。なぜなら、ぼくのキーボードはUS配列なのだ。

●JISキーボードが必要なのか

ぼくもNECのPCー98時代はJISキーボードで快適に打っていたはずだが、初代のMac(当時は日本語キーボードなんてなかった)以来、USキーボードに慣れてしまって、もう戻れない。

日本(JIS)とアメリカ(US)では、キーの配列や数が微妙に違うのだ。一番大きな差は、リターンキーの位置。JISはLとリターンの間に3つ、キーがあるが、USでは2つ。

USではホームポジションの小指でリターンに楽に指が届くが、JISの場合は遠くて、どうしてもホームポジションから指を離さなくてはならない。

そうすると、ホームポジションに指を戻すのが難しくなる。その度に思考が停止してしまい、イライラするのだ。

USキーボードファンのぼくだが、これで面倒なのが日本語と英文の切替。

コマンド+スペースキーで、交互に切り替わるのだが、最近のMacの「フルスクリーンモード」では、メニューバーが隠れているため、今、どちらのモードなのかを確認できない。

そこでちょっと調べてみたところ、「コマンド英かな」というユーティリティがあった。

コマンド英かな
https://ei-kana.appspot.com

これは、左右にあるcommandキーに、「カナ」「英語」を割り付けられるもの。これなら、今何モードか知らなくても、英文を打ちたければ左コマンドを打つ、とシンプル。である。

最近、電子ペーパーをキーに採用し、キートップの表示が自由に変えられるキーボードを、Appleが採用するかも、というニュースが流れていた。
http://japanese.engadget.com/2016/10/14/e-ink/

ほうほう! と見てみたのだが、なんだこれは。なんだって変更できるのが文字キーだけなのだ? ファンクションキーや、モディファイキーを入れ替えたいのに。それにそもそもこれ、JIS配列だとカナが入りきらないですよ……。

こういうものを見ると、日本というのは世界の中では市場として大きくないのだなぁと思い知らされる。

●街中の50音入力

すっかり、文字入力が日常化したが、時折、イラッと来ることがある。それはパソコン以外での機械の操作だ。

うちのパイオニア製カーナビは、入力が50音表だ。その並びが縦書き(画面の右上が「あ」で、左に向かって「か」「さ」行が続く)。普通だ。普通だからイラっとさせられる。

なぜなら、その前に使っていた、ソニーのカーナビは、同じ50音縦書きでも、画面の左から右に「あ」「か」「さ」となっていたからだ。この配列は、郵便局のATMの文字入力と同じだ。

すべて調べたわけではないが、ネットでざっと見たところ、50音配列で現在主流なのは、この郵便局方式のようだ。

縦書き50音表であれば、当然、パイオニア社の方式が正しい。じゃあなぜ、郵便局はじめ、多くのATMでは縦書きを左から右に並べているのかといえば、インターフェイス全体が横書きだから。それまでの操作を左から右への流れでやってきているので、文字を捜す時も、右に流れた方(左上に「あ」)が見つけやすい。

ちなみにJR東日本の券売機での50音表記は、左右2段にわけて、横書きらしい。JR西日本の券売機は郵便局方式。そういえばと思って調べてみたら、ゲームのドラクエ3ではJR東日本と同じ横書き二段組み。MOTHER2では、郵便局ATM式。

どの方式も、各社、検討や検証の末採用しているのだと思うが、いやはや、使う側にしてみれば、この混乱はどういうことだ? バベルの塔じゃあるまいし。

パソコンには「JIS」という規格があるのに、なんで、同じ工業製品である券売機やATMのインターフェイスには規格がないのだろう。

逆に、パソコンのキーボードも、もっと現代的な日本語配列を提案するような商品があってもいいのに、と思う。

●最新トレンドでガラパゴスなフリック入力

大人たちがそんなことをしている間にも、世の中はどんどん変化する。今はフリック入力の時代だ。

先日大学で、ここ数年、新入生のパソコンスキルがちょっと落ちているんじゃないか、ということが話題になった。高校まででパソコンを使ったことがない学生が増えているらしいが、そりゃそうだろう。ほとんどのことはスマホで出来てしまう時代だ。逆に、仕事や教育が、変わっていないのだ。

そして、パソコンを使わない理由は、おそらくキーボードの問題が大きい。ぼくが今、高校生だったら、なぜキーボードでタイプしなくてはならないのか、なぜパソコンにフリック入力がないのか、まったく理解できないだろう。

昨年度のジャストシステムの調査によると、十代の60%以上がフリック入力で、平均値の45%をダントツで越えている。十代はパソコンを使う機会が、社会人より低くなるので、「フリックしかつかわない」率を出せばもっと高くなるだろう。
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/702105.html

ガラケーの時代にも携帯打ちの方が早いなんてことを耳にしたが、その時代と今は状況が大きく異なる。スマホになってからは、パソコン同様のことができ、フリック入力も慣れればパソコンのキーボード入力と同じくらいの速度が出せそうだ。パソコンのキーボードを改めて修得する意味が、どう考えても見いだせない。

じゃあなぜ、フリック入力できるパソコン用のデバイスがないのだろうか? ウィンドウズでは、ソフトでフリック入力するものがあるそうだし、iPhoneでもMacにテキスト入力するアプリがある。が、独立したデバイスは見かけない。

理由は明白だろう。フリック入力が日本独自の入力方法だから。そして、キーボードメーカーのほとんどは海外企業だからだ。先の電子ペーパーを使ったキーボードでも、JISキーボードの事情は全く考慮されていなかった。フリック入力専用のデバイスは、日本以外では必要とされない。

フリック入力によって、テキスト入力方法はガラパゴス化している。しかし、日本語入力キーボードとして、フリック入力が最先端であることも確かだ。

パソコンであれば、両手でフリック入力することも出来るのだから、より効率的なフリック入力装置も開発できそうだ。技術的にはトラックパッドでいいのだから、一度製品化されれば、あっというまに普及する可能性もあるだろう。

●マークダウンでワードは駆逐できるか?

最近、使い始めたテキストエディタが、Macのテキストエディタ、Ulyssesだ。
https://itunes.apple.com/jp/app/ulysses/id623795237?mt=12

以前からちょっと気になっていた「マークダウン」エディタ。マークダウンというのは、「見出し」「本文」「リスト」「引用」「コメントアウト」など、htmlでおなじみの文章の基礎構造を、htmlよりも簡単に記述できるようにしたもので、Wikipediaの記述方式が有名だ。

たとえば、行頭に「#」を付けると、その行が見出しになる。これはhtmlの「<h1>見出し1</h1>」と同じ。htmlのようにタグで挟まなくても、行頭だけで済むので「尻切れトンボ」を心配する必要がない。編集画面上ではその行に色がつくだけで、フォントやレイアウトは変更されない。

これにより、ドキュメントの見た目を気にせず、文章を書くことに専念できるというわけだ。こういった構造を使って文章を書くのは、htmlでは当然だし、ブログなどの記事入力もそれに沿ったものになっている。また、構造を意識して書くことで、わかりやすい文章構造にすることができる。

このUlyssesの面白いところは、書いた文章をエキスポートする時、ワード、html、PDF、ePubなどのフォーマットで書き出せる点だ。そう、htmlとCSSと同じことを、汎用にできるわけだ。もちろんスタイルシートを自分で定義することもできる。

これを使っていて、ふと思ったのだが、もういいかげん、ワード書類をビジネス文書にするのをやめられないだろうか。

●タイピングの普及と仕事の変化

映画「タイピスト!」は1958年が舞台。海外でこの時代、タイプライターはどれくらい普及していたのだろうか? パソコンが普及した現在、タイピングは読み書きと同じレベルで、仕事をするだれもが、必須の能力となり、専業タイピストという仕事はなくなってしまった。

この時代の映画を見ると、タイプライターはタイピストや秘書が使っていて、それ以外の事務員は手書きで仕事をしている。アナログのタイプライターは、単純に「清書」するだけのものだった。

現在の会社ではみな、パソコンでなにかをしていることが「仕事」になっている。しかし、文字を打っているのは、メールや検索、文書作成。別に「清書」のためにタイプしているのではないはずだ。

タイピングが清書目的から、だれもが文章を作るために使う時代になったというのに、未だに世の中はMicrosoftのWord一色だ。たしかにWordは万能だし、最も普及しているワープロソフトだろう。

だからといって、あれがビジネスの現場で使いやすいものとは、とても思えない。MacのPagesだって、使いやすいものではない。

どちらも「一般のビジネスマンが、文章をレイアウトするには最適」なソリューションだが、そもそも、仕事をする上で、文章をキレイにレイアウトすることの重要性がずれている気がする。文章を考え、構築し、情報をやりとりすることが目的であり、書類としてのレイアウトはその後に来るべきはずだ。

その昔、Webページはhtmlだけで記述されていた。その結果、文章構造のタグを成形のために使うようなものが多くなり、異なる環境での表示や、文章検索などで問題が生じるようになってきた。

そこで、文章の構造はhtml、レイアウト情報はcss、と別けて記述するようになった。これがビジネス文章の世界では未だ未分化なのだ。

大学でも、よくワード書類でテンプレートが送られてきて、それに記述しなくてはならない機会があるのだが、ワード書類だと、入力しているうちにレイアウトがどんどん崩れてしまう。

レイアウトが崩れないように気をつけるのは、一苦労だ。まともに「見出し」「引用」などを設定しているファイルにお目にかかることはほとんどない。

入力してあるデータが重要なこの時代に、印刷時の見た目優先で書類を作ることがナンセンスなはずだが、現実は、ほとんどの書類は見た目優先で作られる。

こういった書類がマークダウン方式になれば、印刷する必要がある時だけ、エキスポートすればいい。印刷でも、Webでも、メールでも、媒体にあわせたレイアウトで書き出せばいい。ずっとスマートに仕事ができるのではないか。

もちろんそのためには、文章の構造というものをちゃんと知る必要があるのだが、おそらく教育現場でそういった意識は低いのだろう。

見出し(hタグ)を「通常よりも大きく目立つ」なんて説明をしては、このレイアウト地獄から抜け出すことは出来ない(言うまでもないが、見出しが大きく目立つようにするのは最終的なデザイン的な観点であり、文章の構造としては、ブロック化されたセンテンスの概要を明記するのが役割だ)。

●思念入力はまだ?

今、最先端の入力方法は音声入力だ。「超整理法」で有名な野口悠紀雄氏も先日テレビで、iPhoneの音声入力を活用していると言っていた。74歳で最新のテクノロジーを活用する姿にはつくづく感服する。

実際、Siriを使ったメモはとてつもなく便利だ。通常なら「アプリを起動」「新規メモを作成」「文字変換モードを確認」して、ようやく書き出せるのを、「メモの内容&とメモして」とか「メモ、&メモの内容」と口述するだけで、済んでしまう。

ただ、こうやって取ったメモはそれぞれ別のメモになっているため、あとから集めて編集するのが面倒だ。追記もSiriから出来るのだが、とんでもないところに追記してしまうなど、あまり実用的でない。

さっと音声入力でメモをとれるアプリがあればいいのだが、案外、そういうものが見つからない。また、AppleもGoogleも、音声変換の精度はまだまだだが、国産でもっと精度の高い変換エンジンも登場している。今後、この分野はどんどん伸びるだろう。

では、その次に来るのはなにか? もちろん、思念入力だ。頭の中で考えた文章が、そのまま入力できればどんなによいか。

別にテレパシーや、脳のハッキングを言っているのではない。人間は考えるとき、言葉で考える。キーを打つとき、いきなり打っているではなく、頭の中で言葉を作りながら打っている。

ならば、考えた文章をそのまま取り出すことは、「記憶を取り出す」というSF的なコトよりもずっと簡単に思える。このジャンルは、障害者向けの意志伝達装置として研究されているようだ。

近い将来、イヤリングのようなデバイスが脳波をスマホに送り、スマホが言葉に置き換える。スマホはパソコンや、ATMや券売機とリンクし、そのテキストを即座に転送する。それがシームレスになれば、キーボードはもう、過去の産物となる。

その時代になれば、若い人たちはボタンが沢山並んだキーボードを見て、こんなもので文字を入力していたのか、と驚くのだろう。

●文章を書く機会は増加している

最近は本や新聞を読まなくなっている、とよく言われるが、文章を書いて発表するという行為は、ネット以前と比べて、格段に増えているはずだ。

会社員時代、まだメールは一般的ではなかった時代では、仕事は電話や実際に会っての打ち合わせ、FAXが中心だった。これらの機会で文章を書くことは、あくまでも補助的なことだった。

これがメール時代になり、文章を書く機会が格段に増えた。さらに、Twitterやブログなど、プライベートでも文章を書くことが日常的になった。

考えて見れば不思議なことだ。電話が発明される前は、手紙でのやりとりが中心だった。この時代は文章を書く機会が多かったのが、電話によって、激減しただろう。

それがメールによって、今度は激増したわけだ。当然、文章を読む機会も増えているのだ。本や新聞を読まない、というのは単にメディアという一面を見ているだけにすぎない。

ただ、それでも、キーボードから文章を入力するのは、慣れない人にはハードルが高い。LINEでのコミュニケーションが、スタンプの多用になるのは、文章を書くのが面倒だから、という面もあるのだろう。

文章を書いたり、しゃべったり、また絵を描いたりすることは、ぼくの中では同一の行為だ。どれも、「考えるための行為」である。いろんな考えを言語化したり、視覚化することで、客観視できるようになる。それがとても面白い。

コピー&ペーストというものがなければ、文章を書くことはとても大変だったろう。ぼくはコピー&ペーストによって、ようやく思うように文章を書けるようになった。思うように文章を書けるようになって、昔よりいろんなことを考えられるようになった。

映画「タイピスト!」の舞台から約60年。文字を打つという行為は日本でも日常になったが、文章を書くということははたして成熟したと言えるのだろうか?

うちの学生に「文章を書くのが苦手か?」と聞いてみたところ、半数以上が手を上げた。文章を書くのは、難しくもあり、楽しくもあり。だれもがもっと、文章を自分のものとして使いこなせれるようになればいいと思うのだ。

後記:調べてみると、あの曲もこの曲もこの人。有名どころでは、時計をモチーフにした「シンコペイテッド・クロック」に、クリスマスの定番「Sleigh Ride」、運動会といえばこれ、の「Bugler's Holiday」。ああ、全部この人だったんだ。この原稿を書いてよかった。

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