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アルメニアで骨延長する【エピローグ】

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この記事ではある一人の男が東京というルッキズムの巣窟で何を思い何をきっかけにアルメニアで骨延長をするに至ったかを記した記録であり日記である。


骨延長という言葉は低身長の男性であれば一度は調べ聞いたことがある言葉であると思う。
(そういう感覚が当たり前な男の勝手な想像である可能性も大いにあるが。)

私の身長へのコンプレックスは高校に進んだタイミングで始まった。
高校生になってから身長が止まったのだ。

晩熟の同級生に次々と抜かれていき、同時に周りより身長が低いこと対してやけに劣等感を覚えるようになった。
両親からは「20歳まで伸びるからたくさん食べてよく寝て伸ばしなさい」と言われていたが、自分の身長がこれ以上に伸びないという確信に近い何かは感じていた。

「「なぜ身長が大きい方がかっこよく見えるんだ。」」

世の中の普遍的事実を何度も恨んだ。

中には低身長の方が好きな人や、低身長にも立派な人間は
たくさんいるじゃないかという議論もされるが
私は綺麗事だと感じる。

そういう天使のような人間は少数派で、たぬ○なさんまではいかないにしろ、高いに越したことはないという女性がほとんどだと感じる。

言い忘れていたが私の身長は169.7cmだ。


世間では『サバ読み』、『盛る』といったことが横行していると感じる。
私ももちろんその一人である。
世の中に169cmの人間を自称する男性はいないと思っている。

最初は170cmとサバを読んでいたが、なぜか170cmというと「169cmの人が盛ってるんでしょ」と言われる。なので普段171cmと言うことが多い。
心は痛まない。

元々人からの視線を気にする人間という自覚はあった。ただこの手術を決断した時は自分でも驚いた記憶がある。

骨延長を決心するに至った理由は多岐にわたる。
・頭がでかく、現在の身長ではバランスが悪いため。
・身長がでかい人は顔に関係なくかっこよく見えた。
・靴を脱ぐ機会にシークレットシューズやインソールがバレないか気にするのが嫌になった。
・街で無意識に他人の身長と比べてしまう自分が嫌になったのと単純に時間が無駄だと感じた。
・底の薄い靴やスタイルを気にせずファッションを楽しみたい。
・社会人になりギリギリだがお金が溜まった
・今やらなければ一生後悔するかもしれないと思った。
・人権が欲しかった。

低身長を気にしている人であれば共感できる項目もあるかと思う。

他人と比べていることが動機の根源だが、この手術は究極の自己満と言っていいと思う。冷静に考えたら4cm。物差しで見るとこれほどに少ないのかと驚く。
それにリスクと体の負担、400万近くかかる大金。まともな人間がする手術とは言えないだろう。

だが私は決断した。

私は今アルメニアに来ている。

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