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自分の可能性は、自分が1番信じてあげる

BOXアドベントカレンダー、牧野の番です。

このnoteは、何かエビデンスのある体系的な学びや知見が得られるものではない。ただ自分のために、2023年の終わりとして書き記す日記のようなものとして書こうと思う。

というものの、しばらく何を書こうか迷っていた。

過去を少し綺麗にカッコよくドラマっぽく振り返ろうか。何かTIPSでもまとめようか。HRに5年いた自分が書ける業界のことでも書こうか。

いやーなんか全部違うな。どれも薄い。感情も乗らないし、きっと誰かに何かを届けることもできない。どこにでもある埋もれたツイートやブログにでもなりそう。

と何度も書いて消して今に至る。既に不器用さが出て笑けてくる。そんな自分にムカついてくる。

ということで、今年あったことと、今考えてることでも書こうと思う。
つらつら書くから長くなると思う。そう。牧野はとりあえず文章が長い。明らかに弱みだ。今回も許してくれ。笑


チーム。分裂。そしてチーム。

「チームど根性」が生まれるまで

2023年が始まったとき、チームメンバーは僕含めて4名だった。

自分が何をやるのかも、伝えた給料の額も覚えてwないぐらい本当に何も知らず人を信じて感覚だけで入社を決めた23歳のど根性ギャル、棚橋。

出会った初日に寝坊かまして第一印象最悪スタートだったけど、いいやつ度500%で人に真正面から向き合いとことん尽くし続ける、中川。

心の熱さはあるけど実態がぬるくてなかなか毎日本気でやり抜けない見た目は30の22歳の熱血系の九州男児、平岡。

よくもこう個々のキャラが大喧嘩しそうなぐらい濃いメンバーが集まったものだと思う。正直マネジメントはとてもやりにくかった(笑)でも、本当にワンチームだった。同じ心とロマンの持ち主であり、魂は同じだった。僕たちにあったのは本当に目の前の人のためになりたい気持ちと、誰にも負けない真っ直ぐさだけだった。

1月8日から行った1泊2日のチーム合宿では、全く予定通り進まず結果的に2泊3日に延長(想定外)。2日とも睡眠時間は2時間ずつ(マジできつかった)。

本当に不器用しかおらん。体力だけはあるバカしかおらん。でも、らしさ全開で真っ直ぐ自分たちの未来と可能性を信じ、熱狂の始まる3日間だった。素敵なチームだったと今でも誇らしく思う。「チームど根性」の誕生。ここが原点。

劇薬的な新たな仲間

さかのぼること1ヶ月、2022年12月。僕とど根性ギャル棚橋は自社採用に奮闘していた。経営計画的にも1月に2人の採用が必要だった。絶対にBOXに合う訳もない人すらも棚橋から繋がれ続けた。

「いや、経歴も価値観もキャラもこの人は絶対合わないだろ(笑)」

そんなのが続き、ようやく2人の仲間が見つかった。内定を出し、BOXが第1希望。入社後に彼らが表彰されて泣き笑いしながら抱き合った姿を既に想像しているかのようなキラキラした真っ直ぐな目からも、仲間になれると胸高らかに僕たちは期待していた。

「やっと仲間が増えるな」

半分喜び始めていた。
しかし結果、2人とも辞退。負けた。

悔しかった。誰か大事な人でも死んだのかってぐらいの雰囲気を醸し出した僕ら2人は「チーム作りって採用ってむずいな」とタバコの味もしない寒い空気の中で話してた。

その後に開催したのが先程の合宿。前を向こうと気持ち切り替えて臨み、見事にワンチームになった。

「よし、ここからだ」

そう意を決していた中、マイナビ4年経験、Speeeの採用担当をしていた自信満々のナルシズム全開男の海老沢が仲間になったのが2月。

尖り散らかしてるやつだったから、チーム合流は正直とても不安だった。チームに対しての期待値調整もちゃんとした。どうなるかなーと1人ソワソワしてた。

入社前に開催した顔合わせの飲み会当日。前職最終日でお祝いされて送り出されてたこともあり30分遅れてナルシズム尖りマン海老沢登場。

うん。想定通りで空気最悪。牽制し合う会話の弾まない飲み会。「あーヤバイかも」としか思わなかった。ぎこちなく会話を続け、どこか飲むペースも早くなっている中で2時間が経った。

「このままだと本当にやばい。このまま終わったらやばい」

その空気を察した棚橋の提案でカラオケへ。朝まで飲みまくって肩組んで歌いまくった。ダサい姿をお互い見せまくった。

「海老沢さん」と呼んでいたのが、気付いたら「えびりん」になっていた。命名した棚橋に救われたのは、僕たちもだが海老沢もだったと思う。無事にチームになれる兆しができた。少しホッとした。

分裂

4月、えびりんこと海老沢は自分チームを持つことを任された。入社から1ヶ月半のスピード抜擢。今まで救えなかった候補者たちを救える企業たちとの連携も彼のおかげで始まり、間違いなくBOXの可能性は広がっていた。

実はここで中川とはお別れ。海老沢チームに中川が異動することになったため。僕のチームは棚橋と平岡の3人に。色々あった異動だった。悔しかったのと不安と絶対負けたくない気持ちと他にも様々な感情が混在していた時期だった。

一方で他のチームは、大学時代の大親友を仲間にして強化された結束力の塊のようなチーム、10人超えの影響力特大のチーム。声もでかけりゃ体も態度もでかい。

僕たちはたった3人の小さいチームだが、存在すらも小さくなっていた気がする。合宿で築いた4人の「チームど根性」は分裂し、1月に語った未来は絵空事になりつつあった。

「また作るか」

そう思いエンジン全開でいきたかったものの、正直なところ少し歯車が噛み合いきらない状態となった。エンジンだけでは前に進めない。人を乗せた車には歯車が噛み合う必要もあると知り始めた。そしてその歯車がピタっと揃うのは奇跡でもある。

強いチーム作りは至難の業でもあり、奇跡でもあると今年過ごしてきて思う。だからこそ採用も、入社前の会話も、オンボーディングも、日々のコミュニケーションも、信頼関係の構築も、他にも色々と大切なことがあると身に沁みて感じた。

新たなチームへ

そんな中、5月、6月、7月と新しい仲間たちができた。ただ、ちょっと今までとは空気は違う。ど根性だけじゃ通じない。自他共に認めているが、完全に同類とは言い切れない新しい人種の仲間たち。組織というのは、一色ではなく、ベースカラーの上に何色もの色があるが、今までは良い意味でも悪い意味でも一色だった。そこに違うカラーが混ざり始めた時期。

別にど根性が全てではない。人には人の分だけ価値観もあるし、スタイルもあるし、幸せの形も違う。何が正解とかもない。不正解もない。でも、なぜ仲間になれたのか。

「目の前の人を幸せにし続ける。」

この想いだった。人への向き合い方で共鳴できたから。青臭く泥臭くもあるBOXに魅力を感じてくれて、これから作る組織だとしてもそこに賭けたいと思ってくれたから。そして僕らも、その気持ちと想いを一緒に形にしたいと思ったから。

実はこの時の新メンバーたち5人中3人はメンバーの元候補者たち。彼らの人生の岐路に立たされた時期に向き合ってきた。

1人は、ロマン全振りで算盤0、BOXの中では「中堅」の年齢にあたる原。

上下関係の厳しい美容部員を経験し、社員5人のスタートアップに即決で飛び込んで100名組織になるまで生き抜いてきた当時金髪で気付いたら赤髪の天然女子、飯山。

母のために将来カフェ開業を目指し大きな理想片手に初めてスタートアップに挑戦しにきた、なんか話すと落ち着くのほほん女の子、中本。

そして、元は別チームでバチバチに鍛え上げられていたところから僕のチームに異動してきた日体大の野球部出身の野球バカ、小川。そういえば仕事中もプロ野球観戦してて、「こいつ正気か…」と当時思ってた。気付いた時には観なくなってた。そしたら結果出し始めたな。

もう1人もエージェント経由の出会い。汚れを知らない透き通った笑顔と、綺麗すぎる心の中に熱き炎を燃やした素直な女の子、佐藤。入社前にタイピングできないことを知った時は時間が止まった(笑)。いつの時代の?というぐらいのデッカいPC広げて人差し指だけで打ってたのは今では思い出であり笑い話。

そんなこんなで人も増えた。「また空気が変わる」。そんな3ヶ月だった。

やっと「マネージャー務めてます」と言える規模だなと思った。この時で8人。

そんな中で福岡拠点の立ち上げが決定。熱血九州男児の平岡が、拠点立ち上げに手を挙げた。今だから言えるが、結構複雑な気持ちだった。

ここでは書けないぐらい散々ミスもやらかしまくってきた平岡が、立派に成長していた。企業からも頼られ、名指しで仕事を頂くぐらいに。ここからだって時だった。

ただ、平岡は将来的に実家の家業を継ぐことを決めていたし、そのためにも九州の立ち上げを担いたいという意志も元々あった。BOXのためはもちろん、何より平岡の未来の幸せのためを思えば、背中押す以外の選択肢はない。

「行ってこい。お前が福岡を作ってこい。ただ、絶対負けんな」

強気で押した。

BOXにとってもチームにとっても元気印でもあった平岡の旅立ちは正直大きかった。

「まぁでも、ここからまた作るだけだ」

と同時に、福岡拠点長を務めることになった当時特大チームを持っていた澤田チームのメンバーを分散することも決まり、僕のチームに3名やってきた。別チームとはいえ小さかったBOXの頃からよく知る2人の今里と日笠、4月入社のこれまたほんとーーーに綺麗に育ってきた女の子の井川。だいぶ人数も増えた時期だった。

自惚れと不安

BOX創業後、自分が見てきたメンバーは見事に全員立ち上がり、自立し、頼られる側の存在になってきた。マネージャー以上の役職者たちであり、BOXの原液を作り出す人たちばかり。文字通り全員。どこか僕には自信があった。

「まきが1番人を育てられるよね」

そんなことも言ってもらっていた。ただ、言われれば言われるほど不安と、自分自身への疑いも大きくなった。

「本当に自分だからできたのか?」

元々持ってるものも間違いなくある。自分で産み落とし育ててきたわけじゃない。彼ら彼女らも人生戦ってきたやつらばかり。

「マネージャーの与える影響なんて、高が知れてるだろう。本当に自分だからなのか?」

なんてことを考えていた。賞賛され、ときに自惚れ、ときに不安になり、心落ち着かぬままに過ごし始めたのが2023年の下半期だった。

短期思考が組織に損失を生み出した

「大丈夫。僕なら必ず育てられる。」

そう思い込みきり、自分の成功体験だけにすがり生きてきたこの下半期の半年間。気付いたら自分の成長は鈍化していた。時すでに遅しだった。自分のミッションは未達。情けない。弱い。弱すぎる。

原因は様々ある。過去は1人ずつコミットし、3ヶ月ぐらいをベタ張りで見ることができていた。ただ、一気に2人増える。翌月も1人、その翌月には3人増える、とかいうペースでの増員があった。2022年とは明らかに自分のチーム規模の成長ペースも異なる。

もちろん自分の抱える人数は増え、メンバーのタイプも多様化、強みも常識も異なる。その中で、いかにして最速で成長させることができ自立してもらうかを考えて実行してきた。だが、結局は考えていなかった。「1人ずつ徹底的に入り込み、自分のイズムをインストールして強みも引き出して成長に導く」そんなことはできない上で戦う必要があった。

過去成功してきた当時と同じようにやってるつもりでも、明らかに新メンバーに注ぐことのできる絶対的な時間は減っていた。採用のミッションや、組織拡大にまつわる調整やプロジェクトも同時に増える中で同じように戦うことは、そもそも現実的に不可能だった。前提が違いすぎた。

自分のキャパシティを見誤り、自分のボールの取捨選択を行わず全て抱え、最重要ミッションすらも忘れ、毎日目先の1日を生きるのみ。今思えば、1日とは言わないが1週間もしくは遅くとも1ヶ月で気付けたことだった。

結果的に立ち上がりは鈍化。完全に自分の失敗であり、反省と後悔以外は何も残らない結果だった。

将来的に考えられる組織規模を踏まえた上で仮説を組み、考え続け、試し続け、そして自分自身を成長させ続ける必要があった。

パッと思いつくだけでも、

  • どの時点でどのメンバーがどういった状態になる必要があるのか

  • どのメンバーならそうなれる可能性があるのか

  • そのために今から何をすべきなのか

  • 個別指導で出来ることは何か

  • 個別ではなく、組織の力を活用した施策は何をどう回すべきなのか

  • そのために最低限満たすべき前提条件は何なのか

  • そのために自分が身につけるべき能力や知識は何か

こういったことを、少しでも解像度高く思考し、既にそこを乗り越えたであろう世の中の先輩たちに壁打ちや相談を行い、着実に歩みを前に進めるべきだった。

一方でこの時期の自分は、基本的に場当たり的な短期思考であり、今日1日、今週、今月、ぐらいまでしか見えていなかった。もろに自分の弱さが出た。今までの人生全てにおいて、長期思考ではなく目の前のことを猪突猛進に駆け抜ける。全てのエネルギーを”今”に注ぎ込む。生き方を進化させる必要があった時期だった。今こうして振り返りつつ、まさしく僕は戦っている。

BOXでは6月と12月に半期振り返りを行うが、今月12月の自己評価はもちろん最悪。何も自信を持てるような成果はない。当然だろう。

ポテンシャル“だけ”の世界の限界

そういえば、夏にグループ副代表の福島からも言われていた。

「そのままだと、お前には限界がくる。自分の経験なんて高が知れてるよ。」

まさか、こうも早くくるとは思わなかった。

自分に限界がきたとかではないが、今の能力値がこの程度のレベルであるという現実を突きつけられた。ようは、ポテンシャル”だけ”の世界の限界。

だからこそ、自己研鑽が必要であり、毎日鍛錬を続ける必要がある。そうでないと、この社会ではどこでも負ける。上には上がいる。やってるやつはやってる。磨いてるやつは磨き続けてる。

今の自分には、これまで以上の学びが必要であり、ちんたらしてても負け続ける。自分の中だけでなく外からの学びを増やし、体系的な知識の習得、他者の経験を疑似体験し続ける必要がある。なので学びの濃い毎日の習慣作りを改めて行うことが自分にとても必要なことだと半年間かけて学んだ。

ポテンシャルの上に筋肉をつける。そしてポテンシャルの先の世界にいく。そういうやつが勝ち続けるのかもしれないと今さら気付いた。までも、今気付けてよかった。

自分の可能性ぐらい、自分が1番信じてあげる

自分の可能性に限界はない。僕だけでなく、全員に可能性はある。誰にも限界はない。限界を決めるのはどこまでいっても自分であるから、他人にどうこう言われようと自分の可能性は自分が1番信じる。

多くの人は、”今現時点の自分だけ”をどうしても見てしまう傾向にあると思う。余裕のない時ほどそうなる。そして未来の自分を信じられなくなる。

でも、いつ何時も、自分のことは自分が1番信じてあげよう。自分の可能性は誰にも否定できない。可能性をどこまで広げるかは自分次第。

何が起きても、”失敗”と捉えて終わりにするのではなく、”経験”と捉えて未来の自分にとってのドラマの一部にするかは自分次第。

2024年末の牧野くん。着実に学びを自分に落とし込み、成長したかい?自分も組織も可能性を広げてるかい?

2023年の経験があったから今の自分がある。投資の1年だったと、意味ある1年だったと言い切れる1年であることを信じてる。


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