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『アンネの日記』に思う

最近、『アンネの日記』を読み始めました。
ナチスドイツ統治下を生きたユダヤ人アンネの言わずと知れた日記ですが、わたしはちゃんと読んだことがありませんでした。

とにかく長いのでまだ読み始めですが、この本を読んでまず思うことは、つくづく人間というのは愚かな者だということです。
なぜ自分と違う者を排除しようとするのか、なぜ自分たちが1番だと思って攻撃するのか。同じ人間なのに。

神様が本当にいるのなら、戦争なんて起こらないんじゃないかとわたしは思っていて、それどころか、神様を言い訳にして戦争をしているのは誰かと言えば人間じゃないですかと思うわけです。

では神様がいると仮定したとしても、「自分たちのためにケンカはやめて!」って、竹内まりや以上に思っていると思うわけですよ。
つくづく馬鹿げていると思ってしまう。

こういうことは、日常生活でも残念ながらよく起こることです。
いじめやくだらない対立、全部同じことです。
自分の指標からズレている人を力でねじ伏せようとしたり、それがうまくいかないと「どうして分かってくれないの!」とばかりに攻撃する。

さらに怖いのは、ユダヤ人は黄色いバッチを胸に付けなさい、電車に乗ってはいけません、ユダヤ人専用の学校に行きなさい、挙句、収容所に来なさい。
こんなことが、法律で決まっていたということです。

組織というのは時として暴走し、止められなくなったらもうおしまいです。
最初はおかしいなと違和感を感じていたことも、それにだんだんと慣れてしまい、挙句自分も同じことをしていることに気づいた時にはもう遅い。
いや、気づいたならまだましで、それすら忘れてしまうのかも。

1人殺したら罪、複数殺したら正義だという話があります。それが戦争です。
最近また世間を騒がしている企業の不正も、同じことだとわたしは思います。

人は1人では生きていけないのだから、共同体の中で生きていて、協力しあい、時には我慢しなければならないこともありますが、それでもそこにしっかりと「自分」を持っていなければならないと思う。

それは、わがままとか、協調性がないとかそういうことではなくて、そこに「心」がなかったら、それはただのロボットです。
心がなかったら、他人の気持ちなんて分からない。
なんなら自分のことすら分からない。
そして、やってはいけないことも分からなくなる。

そうはいっても、どうしようもない時もあるのかもしれません。
それでも、時には自分を顧みて向き合ってみたいと思う。
自分の心の声にはいつも耳を傾けるべきだし、それが聞けないほど忙殺されるのは問題です。

自分の人生を決めるのは他でもない自分なのですから。
そして、自分と他人が違うのは当たり前なのですから。

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