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1000倍返しだ!

新版『ムーミン谷の十一月』1章のラストの
「ずっと奥まで静まりかえっている森」
という文は直訳すると
「1,000km先まで静まり返っている森」
であり、この”1,000km”が5章で
パワーアップして登場している件について。

日常に嫌気がさしたヘムレンが
ムーミン谷に辿り着くまでの様子が
描かれている5章。

ヘムレンさん、歯ブラシ交換した方がいいですよ

旅行かばんも持たず、雨の中
傘もささずにウキウキと歩くヘムレン。

ヘムレンさんは、両手をつばさみたいにふってみました。すると、いつか聞いた歌の中の男になったような気がしてきました。

新版『ムーミン谷の十一月』5章

これに続く箇所が旧版では:
ふるさとを遠くはなれて、雨の中
たったひとりで、旅行く男
力はみなぎり、心は晴れやか
…と、浪花節っぽくなっているのだが。

原書を参照するとここは
特に詩歌調というわけではなく
han som gick ensam i regnet tusen mil
hemifrån och var vild och fri.

と、前の文章から改行するでもなく
あっさりと続いている一文なのだ。
では、どうして…?

こういう時は、問題の箇所だけではなく
前後の文章をよく見る必要がある。

1) まず、
「ヘムレンさんは、両手をつばさみたいに
ふってみました」の前の文章を見ると
Jag har aldrig förut gått vilse, tänkte han muntert.
Och jag har aldrig förr varit genomvåt!
「迷子になんてなったことないし、
ずぶ濡れになったこともない」

ヘムレン氏はつらつらと考えている。

(ぼくは今まで一度だって、まいごになんてなってみたことは
なかったものな)
と、かえって、気分がうきうきしてきました。
(それにさ、雨にびしょぬれになってみたことだってなかったんだ)

tänkte=”思った””考えた” なので、「 」ではなく(  )が使われています

2) 次に
Han slängde med armarna och kände sig som den där i visan,
「両手をつばさみたいにふってみました。
すると、いつか聞いた歌の中の男になったような
気がしてきました」とあり、

3) その上で
han som gick ensam i regnet tusen mil hemifrån och var vild och fri.
「雨の中をひとり、家からtusen mil離れて
進んでいく彼はワイルドだし自由だ」
という流れになっている。

2)の「いつか聞いた歌」は直訳すると
「あの歌」であり、それが何の歌なのかは
前後にも出てこないが、
この作品が生まれた時代で
”雨の中を楽しげに歩く”そして
”わざわざ言及しなくても誰もが同じく
思い浮かべる歌” といえば、
”Singin' In The Rain” あたりだろうか。

旧版は恐らく、
「いつか聞いた歌」に続いている描写
(雨の中をひとり……)を描写ではなく
「あの歌」の歌詞のように訳したのだろう。

そしてここで注目するのは
tusen mil hemifrånという表現。
milは10キロメートル
tusenは1,000なので
tusen mil hemifrån つまり
家から10,000km遠く離れて
という意味合いになる。
hundra milが「凄く多い距離」を表わす
慣用句ではないのと同様に
tunsen milもTove独特の言い回しということだろう。

雨の中をたったひとり、ふるさとを遠くはなれて
自由につき進む、あの男のように。

新版『ムーミン谷の十一月』5章

旧版を踏襲して
「ふるさとを遠くはなれて」となったが
1章のhundra mil=10km×100に対して
この章では tusen mil=10km×1,000
となっているのだから、
「ずっと、はるか遠くまで」
くらいにした方がよかったと思う。
100も1,000も訳出していないので、
ここが1,000倍返しだ!になっているのは
いずれにしても見えないところなのだが。

この章のラストで上着のえりを立て、帽子を鼻まで引き下げて「開けろ!警察だぞ!」と怒鳴る
ヘムレン氏、銭〇のとっつぁんに見えて仕方がないったらありゃしない


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