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この世の終わりとフィリフヨンカ

短篇集『ムーミン谷の仲間たち』所収の
『この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ』
原題はFilifjonkan som trodde på katastrofer
といい
trodde påはbelived inやhad faithの意なので
カタストロフィがやってくるのを「信じる」が
本来のタイトルで、それはP81の一節につながる。

なにをくよくよすることがあるでしょうか。
とうとう、大きな災難がやってきたのです。

新版『この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ』

きっと来る!には「おびえる」以外にも
カタストロフィの到来をどこか期待している
感情が含まれているのかもしれない。

さて、フィリフヨンカといえば、従来は
「私は女だから」を前面に出すキャラだと
思われてきたが、実際には、
フィリフヨンカがすべきだよ、家事は女の仕事なんだから、
ですって?なによ!
」と、
女性であることを押し付けられるなんて
まっぴら派なのである。

もっとも、『ムーミン谷の十一月』に登場する
フィリフヨンカと、この物語の主人公とが完全に
同一のフィリフヨンカであるかはわからないが、
『この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ』も
旧版では随分と弱々しい女性性をかぶせた
訳になっていた。
そうでなくても全般的にどうしてこうなるの?
という箇所が多い。例えば旧版

「そうなったら、わたし、どうなるかしら。
こんな気持ちは、ガフサには話さないこと
ほんとのことをいうと、あんな人とおしゃべり
しても、ちっともたのしくないんだもの。
だけど、この近くには、ほかに話をする
友だちもいないものねえ。」

旧版『この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ』

というところは原文では
Vad är det med mig, tänkte hon. Jag måste tala om saken med Gafsan. Kanske hon inte är den jag helst vill prata med, men jag känner ju ingen annan. となっていて、måsteはmustの意なので
旧版は逆の意味になってしまう。
そのため、新版ではこのように。

(わたしったら、どうしちゃったのかしら。このことを、ガフサに話さないとね。ほんとは、あの人じゃないほうがいいんだろうけど、ほかにだれがいるってわけでもないし……)

新版『この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ』P63

また例えば、旧版では

「ガフサさんに、あのことをわからせなくては。わたし、わたしがなにかにおびえていることをだれかしらに話して、なんとかいってもらいたいのよ。もちろん、この人はよくわかってくれるはずだわ。だけど、ほんとうのところ、なにをおそれることがあるんでしょう。きょうのようなすばらしい夏の日に。でも、なにかあるんだわ、なにかが。

旧版『この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ』

となっているところは、 Jag måste få någon att förstå att jag är rädd, någon som kan svara och säga, naturligtvis är du rädd, det begriper jag så innerligt bra. Eller också, men snälla du, vad finns det att vara rädd för? En sån här fin lugn sommardag. Vilket som helst, men nånting.
となっていて、フィリフヨンカはガフサのことを
アテにしていないまま、相手のあるべき姿を
どんどん膨らませている。
そこで、新版では次のように改訂。

(ガフサに、あのことをわかってもらわなくちゃ。わたしがなにかにおびえていることを、だれかに話して、わかってもらいたいのよ。そりゃそうよ、よくわかるわ、っていってくれる人がほしいの。それか、あらまあ、こわがることなんかないわよ、今日みたいなすばらしい夏の日に……でもいいから。なにかいってもらえさえすれば

新版『この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ』P65

とはいえ、この物語では
「夜にひとりで外をうろつくなんて、
したことなかったわ。
これをもし、ママが知ったら……」

などと、箱入り娘か!という発言があるものの、
嵐に襲われた後
(みじめな残がいをあのどんよりと暗い部屋にならべて、あのころはよかったなんて思いこもうとするのよね……)
と一瞬考えてから
「いや、そんなことをするもんですか!」
と立ち上がるのだ。

母親や「らしさ」に縛られていた
フィリフヨンカが変わっていくこの場面。
ところがその直後の旧版
ママがフィリフヨンカの義務というものを、
思いださせてくれたようだわ。
」だと、
呪縛がんじがらめに逆戻りになってしまう。

ここは、Mamma skulle ha sagt att det finns nånting som heter plikt,
となっていて、
ためらいつつも母の呪縛から脱却を図ろうとする
フィリフヨンカの心情がよく出ている独白なのだ。
新版訳は下記のとおり。

「ママがいたらきっと、義務ってものがあるんですからね、
 なんていうわね」

新版『この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ』P83

その程度の決心じゃ甘いぜ、とばかり
フィリフヨンカの家や家財を今度は
竜巻が襲い、すべてを吹き飛ばしていく。

「もうわたし、二度とびくびくしなくていいんだわ。とうとう自由になったのよ。これからは、どんなことだってできるんだわ」

新版『この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ』P86

ラストシーンでフィリフヨンカは
砂の上にすわって、涙をこぼしながら笑う。
そこにはそれ以上の描写はなく、
涙の意味は読者の解釈に委ねられている。

こちら↓は原作を元にしたTVドラマ。
(1978年制作)


そしてMalmö Puppet Daysというイベントで
2021年に上演された演劇版がこちら。
予告映像が少し観られます↓

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