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har(=have)をどう訳す?

「これで、ぜんぶ経験したんだ。一年を。冬さえも」
ムーミントロールは、つぶやきました。
「ぼくは、一年を通して生きぬいた、最初のムーミントロールなんだ」

新版『ムーミン谷の冬』6章
ムーミントロールは入り口のドアのところへ行って、ちょっとおしてみました。すると、いくらか動いたような気がしました。そこで、足をふんばって、ありったけの力をかけました。
少しずつ、少しずつ、外に積もった雪をおしのけて、ドアが開いていったのです。

長かった冬からようやく季節が動きはじめ
雪と氷に閉ざされていたムーミン屋敷のドアが
開かれたシーンでムーミントロールが
つぶやいた言葉が旧版では:

「いまこそ、ぼくは残らず知ったわけだ。」
と、ムーミントロールは、ひとりでつぶやきました。
「ぼくは、一年じゅうを知ってるんだ。冬だって知ってるんだもの。一年じゅうを生きぬいた、さいしょのムーミントロールなんだぞ、ぼくは。」

となっている。原文は
Nu har jag allting, sa Mumintrollet för sig själv. Jag har hela året. Vintern också. Jag är det första mumintrollet som har levat ett helt år.
となっていて、今回は敢えて英語に直訳してみると:
Now I have everything, Mumintroll said to himself. I have the whole year. Winter too. I am the first Mumintroll who have lived an entire year.

という具合。
”Now I have everything”という文の
単語自体は難しくない。
しかし、訳すのは凄く難しい。
"have"という単語の意味は多岐に渡るため
様々な訳が可能になってくるからだ。

旧版訳の「残らず知った」はもちろんのこと
その他にも
「手に入れた」→「自分のものにした」
あるいは
「経験した」「目にした」とか。
これまでのストーリーを振り返って
「くぐりぬけた」「味わった」もよいけど
やっぱりここは「経験した」がいいだろうな…
と考えたのは、次頁の文章との関連だ。

 もう春が来たのです。でも、考えていたものとは、まるっきりちがっていました。
 よそよそしい、いじのわるい世界から、自分を救いだしてくれるもの、それが春だと思っていました。ところがじっさいは、ムーミントロールが乗りこえて自分のものにしたあたらしい経験の、ごく自然なつづきだったのです。

新版『ムーミン谷の冬』6章

「ムーミントロールが乗りこえて自分のものにした
あたらしい経験の、ごく自然なつづきだった」
の原文は
den naturliga fortsättningen på en ny upplevelse,
som han övervunnit och gjort till sin egen.
となっていて
ここは、upplevelse(経験) という語が使われている。

この物語でupplevelseという語が出てくるのは
この箇所のみで、動詞形のupplevaも登場しない。

悪戦苦闘しながら厳しい冬を乗り越え、
凍り付いたドアを ありったけの力で押し開けた
ムーミントロール。
その時に感じたであろう、冬に打ち勝った思いが
春が本格的になるにつれ、違うぞ、
春と冬は善と悪の関係ではないんだと悟る。

「経験」という語はどうも
「成長」や「学び」に結びつきやすいが、
この物語は単なる成長物語ではない。
だからこそ、敢えて
”Nu har jag allting”は
「これで、ぜんぶ経験したんだ」と
訳した上で、次頁につなぐのがよいと思う。

ところで、「経験」という語はそもそも
『ムーミンパパの思い出』以外の作品には
あまり使われていない。
それは、ムーミンは教訓や道徳を説く類の
物語ではない、というトーベの基軸によるもの
なのかもしれない。

「私の物語は、教訓めいたものや何かの意図があって書かれたわけでは全然ありません」
『トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉』9章


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