やっぱりずっとモヤっていた
職場での出来事が、ずっと心に影を落としている。
次の日にはみんな普通に笑えてて、みんなすごいなぁ〜って感じてた。なんで何事もなかったみたいに笑えるの?って。
そういう私も他の同僚からは普通に笑ってるように見えてたのかもしれないけど。
あぁ、そっか。
この状況こそがキライなんだわ。
この自分の状況。
笑いたくないのに笑ってるコレ。
だから、私が私に影を落とし続けていたんだ。
こんな簡単なことに、なかなか気づけなかった。
今書いてみて気づいた。
書くって大事ね。
そしてもう一つ、今私が自分の癖を修正すべくやっていること。
ただ見る
最近、接客をしていて、この人はきっとこうだろうと思うことが悉く外れる、という現象が続いていて、(きっと少食だろうと思った人がすごくたくさん食べたりとか)
どうやらこれまでの経験からの分析がとてつもなく外れだしてるのである。笑
分析には、客観的なデータ解析が必要だと長年信じていた。
でも人の解釈なんて、客観性などないってメンタル的なことを学ぶうちにわかってきた。
一人一人独自のストーリーを生きてる。すべて主観だ。私はこう思う、感じる、それは人それぞれの捉え方から成る。皆違う。独自的でしかない。
私のストーリーもまた私だけのもので、そのストーリーの中で行われる分析が外れ出したのは、私のストーリーの替え時、ストーリーの元となる前提の替え時なのかもしれない、って思って。
分析癖が甚だしい頭の中を少しおとなしくする訓練中です。笑
ただ見る、直視する、明らめる、というのは、人生好転にも必須。
というわけで、【ただ、そのまま、見る】を意識して通勤してみた。
看板、青に白文字、グレーのマンション、前の車白、、、とかって、そのまま目に映るものを、そのまま、そのまま。
そしたら、
普段通っていた道の情報の多いこと!
すごい情報量の中から、いつも運転に必要な最小限の情報だけを認識してた(あとは見えてない)
その余白でいつも考え事をしてた。
ただ見ると、いつも、その物を見る👀より、それをみて感じることの方ばかりに気を取られてた。
つまり瞬時に解釈が進んでた。そこにはジャッジもたくさん。
いかに日々、瞬間瞬間にジャッジしてたのかに驚愕した!
あとは、情報を必ず一旦『言葉に変換』してるのも癖だと思った。
だから五感情報の処理が忙しい。頭の中ぎやかましい。
そして、それもすでに、ただ見る、から外れてる感じもするし。
ただ見る、が案外、難題となっております。
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