見出し画像

大胆に処分したい件


何年か前に「こんまり流」で片付けて以来、物の量、特に服や靴については片付けやすく満足している。

でも、でも、なんだか時々くる、このモヤモヤ。。。

もっと捨てたい!

お気に入りが見つかるまでいらないと言ったのに結婚直前に買わされ持たされたタンス、
同じく勝手に選んで送られてきた学習机、
今は気に入ってないテーブル、などの家具類!

「今、売ってたら買いますか?」の問いに、どれもNOなんだ。

でもそれなりに違う活用の仕方で、部屋も片付き、それなりに納得してる。

それなりに。。。

うぅ、大きい物の処分、、、ぐるしい。



先日、帰省したら、私たちが子供の頃に使っていた簡易的なタンスなどがまだ使われていた。

実家は引っ越してまだ1年経たない。
以前住んでいたお山の元祖父母宅だって残ってるから、本当に少ないモノだけ持ち込んで暮らしているのだろうと思ってたら、家具が以前の祖父母宅からごっそり移動されてた。

キッチンを新しくした、と嬉しそうに母は言ってたが、とても新しいキッチンに見えないほど、以前のままの雰囲気でなんだか驚いた。

そして、感じたのである。。。

家具類、、、処分したいっ!!!

そのまま今までのものを使い続けて、人生(暮らし)が飛躍的に変わるわけないわ、これ。。。
と、
客観的に見ることができ、
エネルギー的に無理!って感じたのであーる。


私、もっとスッキリ暮らしたい。

でも欲しいものはべらぼうに高い。

そもそもどう暮らしたいのか?基準が一向に定まらない。

そう感じてるだけで、実は暮らしたいように暮らしてるのにね。

今の暮らしを、「したかった暮らし」と認めてないだけかも。

などと、ぐるぐるとなって、結局、行動しないのであーる。

そんなここ数年。



理想は震災直後

だったりする。

車中泊が続いた数日。

なんかね、暮らしがシンプルだったんだ。

食卓もダンボールにクロスでよかったり。



いっそ全部が粉々にこわれてしまえば、諦めついて処分できるのに、、、とか、不謹慎に考えてしまう。


でも、それは、
自分の人生に責任取りたくない表れなんだよなぁ〜。向き合いたくないんだ。



今身の回りにある、ということは、
自分で許可したから、家の中に入れてしまってるということ。


その、自分の内側の『許可』の基準を変える、ということなんだ。


誰かの顔色や都合を優先して、私は(イヤだな)と思ってたのに、招き入れてしまった、

そういう自分自身との決別(和解)をしたい、ってことなのかも。

と、書いていたら、少し整理がついてきた!



誰かの顔色、と言っても、母などの他者というわけでなく、
結局、打算的な考えを優先した自分自身の賜物なんだよね。

ここで機嫌損ねたら悪いし、もう援助してもらえなくなるかも、
せっかく買ってくれるんだし、
とりあえずで買って、また気に入ったのがあれば買い替えたらいいや、
などなど。

(それでいて夫の持ち物はことごとく色を塗り替えたり処分したりしたな笑笑)

(顔色を伺わなくてもいい、大丈夫、と安心してたんだよね。でも出て行かれた、、、)

(あれ?ここにもなんだかキズが残ってる)



物質に捉われず、
エネルギーに振り切って見直す。


そこにはきっと、山のように
『もったいない』と、ゴミが現れる。(きっと別れも。)


何を隠そう、そのゴミたちが、私自身の思考や意識の中にも溜まっていて、

『本来の私』の判断基準を鈍らせるものなんだ。きっと。


これくらいならいいや、っていうモノ。

別に目障りじゃないし、不快でもないし、あると便利かも、助かるかも、念のため、置くとこあるし、捨てるのはもったいないし、かわいそうだし!

かわいそうって、ほんと厄介!

捨てるとモノが泣いてるよ、的な洗脳に侵されてるぅ〜。



今までありがとう。。。

そうやって、丁寧にお別れしていこうと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?