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いつかいなくなる人
私は、自分自身の、息子との向き合い方が好きだ。
息子がどう思っているか?は実際にはわからないけど、
私は、息子との間に築いた関係性が好きだ。
そして、これが私の中で
人間関係のひな形となって、
他の人との関係性も良好になってきたと思うし、
提供している個人セッションにも大いに役立っている。
一方で、元夫との関係や、
以前の親や妹との関係、
つまりは自分の向き合い方、心の姿勢は、嫌いだ。
感情がよく揺さぶられ、苦しかった。
この2つの、関係の築き方の、
大きな違いはなんだろう?考えた時、
出てきた答えが、
いつかそばからいなくなる人かどうか?
だ。
私の意識の根底で、
いつか離れる、別れる、とはじめから思って向き合ったのが、息子だった。
幼い息子に、私はまるで乳母のような気持ちで接してた。
この子は宇宙から預かった子ども、という意識。変な意識での子育てがスタートしてた。
そういう意識になったのは、あまりにも理解不能な言動をする「子ども」という生き物に対しての、私の生存戦略だったと思う。
他の人とも、いつか離れるのに、
不思議と、意識の中でそうは思えてなかったことに気づいた。
ずっとずっと、そばにいる、とか、
ずっとずっと付き合っていかないといけない、縁が切れない、という意識が、
知らず知らずのうちに私を縛り、執着のように腐り、
相手に対して、その言動に、完璧に意に沿うように求めるような気持ちが生じていた。
そうじゃないと一緒にいられないんだよ!と。
その結果、なにかと腹を立てたり、相手を変えようとするような要求をしたり、して、
私が疲弊したり、相手が疲弊したりしたのだろうと思う。
今また腹を立ててみて
久しぶりに、腹が立っている自分に気づいた。
本当に、息子に対してはこういう気持ちになることがないので、違いを比較してみたら、
ここに行き着いた。
よく言えば、それだけ、相手が好きなんだろう。
しかし、この好きは、快適ではないと感じた。
執着なのだ。
また、そんな態度は嫌い!という、単なる私の好みでいいのに、
そういう態度をとらないでほしい、と求める気持ちが大きいのも、しんどい。
これが息子なら、
そういう態度を取るんだなー。へー。と感じ、
私はそれは嫌い。と、思ったり、時には伝えたりして終わるのである。
そこになんの波風もない。
ポジディブエスケープ
『超ミニマルライフ』の著者、四角大輔さんの記事で読んで、最近実感したばかりで唸った考え方があった。
なぜ、こんな人間が15年も競争の激しいレコード会社で働き続けられたのか。その理由の一つに「ポジティブエスケープ」があった。
「いざとなれば明日から、会社に行かなければいい」
まるで呪文のように、心の中でそう唱え続けていたからだ。
最近、もう辞めてやる!とキレた。
その後、結局働き続けることにしたが、
これがまあ、気持ちが楽で楽で。
それまでは、ずっとここで働きたい!辞めたくないな。と、どこかで思ってた。
それが執着になってしまっていた。
今は、いつでも辞めたらいい、と根底で思えてるからこそ、
『今しかない時間』をとても大切に扱うようになった気がする。
それは同僚との関係も同じ。
いつか別れる人たち、と思えば、とても楽で楽しくなった。
そして、思いっきり、自分でいられるようにもなった。
さらに居心地は良くなり、パフォーマンスも上がった気がする。
人は必ず別れる
考えてみれば、別れない人なんていないのだ。
早かれ遅かれ、何かしらの別れが必ずある。
そこを意識してるかどうか?が、
私の人生の色合いをガラリと変えるものだったんだなぁ、と思った次第です。
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