何の役にも立たないことに没頭したい
つい、タイトルに結論から書いてしまうんだ。
そして、満足してしまう(笑)
タモリ倶楽部や、レキシや、みうらじゅんさんを見ていると、
ほんと、ワクワクしちゃって。
めちゃくちゃ真剣に、ムダなことと向き合いたいなーって。
私にとっては、「役に立つかどうか?」って重要で。
機能性に惹かれたり、まだまだ使えるとか、再利用とか、そういうワードに弱いんですが、
自分との繋がりを深めてきた中で、最近は、「役に立つ立たない」が以前のような意味をなさなくなってきて、「何にも使えないけど、オレを喜ばせている」という『その存在が役に立つ』的な要素もアリになってきた。
というか、「役には立たない」のだ。
思えば、音楽だって、絵画だって、(セラピーとか役に立てれば立つけど)お笑いだって、衣食住にまつわる生活必需品とは「役に立つ」具合に一線を画してる。
コロナ禍ではまず打撃を受けた分野は、不要不急ではないとみなされた、いわばそういう「役に立たない」分野だったりする。
でも、じゃあ、どうしてなくならないのか?
世の中、役に立つものばかりではないってこと。
「役に立たないもの」が支えてる、私たちの生存領域があるんだ、きっと。
心とか魂とかかもしれないし、豊かさとか余裕とかそういうところだったりする。
やりたいことを探すのに、どこか無意識のうちに「役に立つこと」という括りで探してしまっていた気がして、
それよりもっと広い世界に心を向けて、
内側から「私」が喜ぶものを探し当てたいな~と考え出した時、「私」の輪郭がまた濃くなるような気がして、ワクワクしているところなのです。
私の内側が喜ぶこと、それが、タモリ倶楽部で持てる専門的知識を「ストローで飲むとき最後にズズッと音を立てないためには?」に使っているのを見ていてムクムクしたりしてさ。
もう、もう、モーレツに!
役に立つかどうか?という思考をかなぐり捨てて、研究、観察、実験に没頭したいっ!!ってなったわけです。
大学だって、高い学費を払ってもらって「ウニ精子の51Kタンパク」について研究した一年なんて、今となっては何の役にも立たないことに没頭できた期間だったのかもしれない。
子どものころの遊びもそう。
他の人から見たら、どうでもいいムダなことに、今後の人生、うつつを抜かしていきたいものである。
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