見出し画像

等身大の私の望み

『世界から猫が消えたなら』を観た。
ぐっときたのは、濱田岳さんの演技。取り乱したり、どうしていいかわからないという様子の演技に涙が溢れた。背景にある何か、自分の琴線に触れるものがあったのだろうな。
演出がいかにもってシーン(雨の中を泣きながら走り回ったり)には自分でも驚くくらい興ざめしてしまってた。あれは私にとっての「自然」とかけ離れていて、でも、かつての、無自覚だったけど悲劇のヒロインになりたがってた頃の自分自身を突き付けられたようで、見ていて少し恥ずかしくもあった。

私は、幼いころから目にしている映画や小説やマンガから、知らず知らずに影響を受けまくっていて、
こんな感情の時はこう振る舞う、を自分の感じるようにではなく、どこかで見た映画や物語のように振る舞っていたなと思う。若い頃は特に。

まあ、そうでなくても、親や先生の影響とかを受けるわけで、
結局、自分の振る舞いたいように言動を選択するのは、自分の心と深く向き合い理解し、大切な関係をどのように育みたいのかが見えてきた、本当にごくごく最近なのかもしれない。
しかたないか。

それでも、(あの頃は若かったな)と思うということは、少しは変化し成長しているわけだ。


「生きてやるー!」ってシーンがあった。これはまさに、先日私がじっくり向き合って出てきたものとシンクロしていた。ので、これはこれで、今日観るべき映画だったのかもしれない。


魂の望み

ノートを開いて「何を焦っているのか?」向き合う予定だったけど、その答えもすっ飛ばして、その先の答え、みたいなものが湯舟に浸かっていたらやってきた。
最近はアンテナを立てておくと、レスポンスが実に早い。元来せっかちなんだろう。

「焦り」には、このままでいい、ということにするのは向上心がないようで、向上心がないと成長ができないという恐れがくっついていた。だから、このままでいいと言い聞かせれば言い聞かせるほど、潜在的におそれが増す構図になってた。

それは一理あるかもしれないけど、「成長」はある種、勝手にするものだと捉えている。勝手に、は言い過ぎだけど、例えば(身長伸びたい)と思ったから伸びたわけでないように、成長の方向は自分ではわからなかったりするものだと思うのだ。私のように目標を明確に立てられない人間は特に。

で、このままでいいし、それは向上心がないということにはならないと設定しなおした。実際私は向上心あるし。携わっている作業に対して常によりよくできないか?を考え続ける性質だ。それでいい、ということ。

喜んでできる頼まれごとをとにかくやっていく。

「焦り」と向き合った答えはこんな感じだったのだけど、
湯船でやってきた、魂の叫びは

「生きたいーーー」でした。



前世の記憶


私はただ生きたかった。

その声が聴けたとき、心底ほっとしました。

あぁー!そうだよね!って、ストンと腑に落ちて、そこから自己会話が始まりました。

だって、前の人生、生きられなかったもんね~。
22?20?18年か。
そう、18歳までしか生きられなかった。だから今世も18までは平穏だったでしょ?(笑)
18までだったから、恋愛もしてないし、一人暮らしも、仕事も、してない。だから経験してみたかったんだー。まさか結婚までして子ども生んでお母さんにまでなれるとは思ってもなかった!ほんとにありがとう。生きてくれて。
いやいや、へたっぴでごめんね。
人生まだ一周目だからさ、へたっぴで仕方ないって。たくさん周ってきた人みたいに世界に影響与えるようなことできなくて当然だよ!それよりあの辛くて悲しいこととか、悔しいこととか、そういう経験もできて本当に嬉しいよ。感情が揺れ動くこと自体が全部幸せでさ。もう、ぶっちゃけ辛くてもいいのよ。それも嬉しいの。キラッキラの宝ものだよ。
そっか。その感覚は少し感じてたよ。
これからも生きたい。
生きよう。
たくさん笑って、でも楽しいだけじゃなくても、それももう嬉しい。私、まだまだ生きたい。地球に居たい。
うん。


そんな脳内対話をぐるぐるとしながら、これまで自分がうっすら感じてきた感覚の答えをもらった気がした。
いつもどこかで、ネガティブな感情も喜んでる感覚。。。

そっか。生きたかったのか。


私の目標は、来年も生きる、ですね。

TOMOさんのイラストがぴったりすぎて、なんだか嬉しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?