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モチベーションは下げ下げで

(お客さまのまったり過ごす姿にカウンターごしに癒され、写真撮らせて頂いた。こういう交流、ほんと好き。)


瞑想で、何者でもない自分に立ち返る。

それは、気づこうとしてこなかった自分に「気づく」ことなのかもしれない、と感じた。


どこかで、ゆっくりマイペースで過ごすことを求めると同時に、『安心安全』を求めていた。

むしろ安心安全を求めるが故の、マイペースだったかも。

安心安全を求める。
なぜ?

安心したいから。
安心ってなに?
私が私でいていいという安心。

つまり私は私でいていい、と、まだ安心できてなかった。
そう、常に不安が燻っていた。

とはいえ、私は私でいられる度合いが増えて、
その不安はだいぶ小さくなってきていた。
でもそれは過去との比較だった。
もっと苦しかった過去と比べたら、だ。


何者でもない私が、安心できてるか?
ただその瞬間がどうなのか?

を問うと、まだまだ答えはNOなんだ。だけどそれは見ないでも大丈夫だと思ってきた。

だって、そこを見ていったら、また変化と決断を迫られちゃう。

誰に?

それは本当に望む未来に、なんじゃないの?
だったら、そこを怯える理由はないはずだよね。
でも怖いよね。
だって、
だってさ、
今もそれなりに楽しいし楽ちんになってきたやん?無理して壊すことないのにさ。


無理して壊そうとしてるのか?
望む未来に誘われているのか?
そこを履き違えずに見ることが大事だね。


何はともあれ、また変化の時が近づいているんだな。

私は私の味方であろう。そしてどこまでも一緒に。いるから安心して。


モチベーションは下がったままで。
その方が自分の素直な不安に気づけるから。

「優しく気づく」ことが、何より大切にしたいこと。そうやって子どもと接してきた。その在り方にはとても満足している。


今度は自分と。ね。

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