【息子哲学】写真に撮る、がわからない
「いちいち写真に撮る人の気持ちがわからない。」
と言われて、
ほんと、なんでだろう?何で私は写真に撮りたいんだ?
と考えさせられた。
美味しそうなおやつやごはん、キレイ〜と感じた景色、かわいい〜と思った小物やコーデ、時々自撮り、、、
なんでだろう?
・・・そう感じたことを大切にしたい。
忘れたくない、のだ。
それって、私は忘れるって前提にいる。よね?
あれ?なんでなの?
私は何を忘れてきてしまったと思ってるの?
人生に影響を与えてくれた本も、手放してしまった大好きだった服や雑貨も、しっかり覚えてるよ。
喜んだり嬉しかったりしたことを、私は忘れたくないのに忘れてしまう、と思ってる。
なんかおかしい。
そんなに無理して喜ばなくても良くない?
しがみつかなくてもよくない?
なんか、喜ぶことが手段になってない?
そうしていれば幸せになれる、豊かになれる、的な。
仕事で必要で撮る以外、写真を撮るのをやめてみようかな。
それは、大事なことを忘れないように、という執着を手放すという意味で。
忘れないよ。しっかりこの目で見て、心でしっかり感じれば。
なんだか、スマホの時間が増えて、目の前から意識が遠のく時間が増えてしまってたかもしれない。
それに慣れすぎてしまった。
運転中、助手席の人と話してるのと、携帯で通話してるのはあまり大差ないと思ってたけど、事故率だが何かが違うってデータを見てハッとした。
意識のあり方は確かに全然違うよね。電話ってどこか意識が「ここ」ではないところに行く。
昔は電話は魂が吸い取られるって思われてたみたいだけど(あれ?カメラだっけ?)、その感覚はあながち間違ってないかも。
一緒にいる人が電話に出ると、その時って意識は一緒にいない感覚があるもんね。
その場を味わっている時、写真撮ろう!ってなった瞬間からその場を離れてる。
シェアしたい誰かを想ってたり、後々にどう使うかを考えて撮ってる。
それが悪いことではないけど、
そうしたくなった時に、すぐにスマホを取りに行くのではなくて、
もうひと時間、その場にとどまることを意識してみようかな。
もうひと呼吸、ゆっくり味わう暮らしを心がけてみよう。
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