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もっと突き抜けていい


人が本気で悔しがったりみじめに感じてる話しは面白い。

『だが、情熱はある』より

オードリー若林さんがはじめてラジオのオーディションに行った時に、審査するスタッフさんがおっしゃった言葉。

noteのお写真とそっくりな印象の俳優さんだったので、おそらく藤井青銅さんなんだろうと思いました。


ドラマの中では、前健さんと思われるオキショーさん(藤井隆さん)や、どきどきキャンプでオードリーのブレーンでもあるサトミツさんらしき方など、周囲の方がまたいい。

「今、幸せ?」

度々そう訊けるって、すごいことだと思った。そういう気恥ずかしいこと、口に出せないように育ってしまってたから。


一生懸命に真っ直ぐに頑張っていると、自分での成果は出せなくても、周りが助けてくれたりするものなんだというのを、これまで私も実感してきたけど、このドラマを見ていたら、本当にそうなんだなと感じる。

実話だし、現在を知っているからより楽しめる、珍しいドラマだなぁと思う。



あら、また止まらない。ドラマの話し。笑



自分が自分であることで、周囲から浮いたり、理解されないんじゃないか、ということを怖がらなくていい、

そんな勇気が湧いてくる。


理解してもらえない。

その不安は、おそらく親に理解されなかった感がもたらすもので、

それはどうしても、親が1番初めに関わる大人(=社会)だから、理解してほしい気持ちが強いわけで、

しかし、相性というものは必ずあり、理解できない相手のことは、親子と言えども理解できないものだろう、

特に、拗ねて、自己理解が浅いまま、他人を理解するキャパを持ち合わせてないならなおさら、、、

仕方がないことなんだな、


という諦めがついた。


これが『明らかに見る』ということなんだろうな。

身近になるとそれがなかなかできなかったのは、良くも悪くも【家族】という縛りだったんだろう。


母は、ここに縛られていて、

相性悪く、本来なら付き合わないような性格の、私のような人間を、「子どもだから」と必死に愛してくれたんだろうと思う。


でもその結果、根底ではいつも

私にバカにされてる

と思っているようだ。


どうりで、私は【正直に思ったことを言うと相手を傷つける】という設定を持ってたはずだ。

ここに原因がいたんだ。


と、妹と母のバトル(構図としては、妹は愛しきったと感動した件)の話のあと、それらが見えた。


なぁ〜んだ。

被害者意識の母の、言葉にならないエネルギーを受け取ってしまっていただけだったんだ!私のコンプレックスって!

人を見下すような物言いをしてしまうことに小学生の頃、少し悩んだけど、
そもそもそう言う物言いばかりを受け、習慣性として身についたものに違和感を覚えながらも他の選択肢を知らなかっただけだったんだ。


今、幸せ?


そんなことを口に出すなんて想像すらできなかった。

今、楽しい?

すら、なかった。


ポジティブな言葉を選んで発することがない思考癖だった。

書く時を除いて。


だから、書くのが好きだったのかもしれない。


今は、話す言葉も、その頃『クサい』と思っていたような、気恥ずかしい言葉を選んでいきたいと思う。


もう、『バカにされてる』と感じる人のことは放っておいていい。

だって私はもう、誰かをバカにしたりするエネルギーは使う暇がないから。

愛する努力はしてきたし、これからもするけど、
それを嫌がる人、煙たがる人、避けたい人、被害者ぶる人たちのことは、

かまってられないし、かまわなくていい。

たとえ家族だとしても。


放っておこう。寂しいけど。


と、決めた。


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