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人生は勘違いでできている


個人セッションをしてきて、また自分の意識の変化と現実の変化を見てきて、「生きづらさ」はセルフイメージ次第のように感じてる。

自分が自分をどう見ているか?無意識レベルで。

最近のセッションでは、そこをあぶりだして明確にすることで、大きな変化が起きていて、とても楽しい。


大きな変化、といっても、内側の話しで、
むしろ外の現実は何も変わっていなかったりする。
変わるのは「捉え方」で、その結果、目の前の現実が「嫌で仕方なかった」と感じていたのが、その人にとって「変える必要がない」ものへと変わるのである。

それは短中期的な変化で、もう少し長いスパンになると、現実も確実に望む方へと変化するしね。

変えようとするのを手放すと変わる、というパラドックスですね。
これがおもしろいのです。


パン屋さんだよ。


先日の朝、ふと10年以上前の職場で掲載された写真を見てみたくなった。

そういえばなにかと結局表に出されてしまうんだよな、とこれまでを思い返しながら。
スーパーの中で試食販売とかしてました。同僚はみんなその業務を嫌がってたけど、私は案外楽しかった。中でパン作ってるより好き。


私は自分の笑顔がとてもキライで醜いと思っている。当時もできてきた冊子を見て変な笑顔だな~と思っていた。


今、若い方に少しは寛容なおばさんになって笑、改めて見てみると、とてもいい感じで笑えてるじゃない!少し若い私!

口角が上がってないと思って上げる練習を必死でやってるけどw、ちゃんと上がってるじゃない!

そもそもあまりに笑顔がひどい人を載せようとしないし、そんな人は存在しないし。どんな人の笑顔もとてもすてきだ。ハッピーな気持ちになる。

なのに、自分だけが自分はお見せできるような笑顔ではありませんって意識で生きてきていたのだ。
わかってしまえば笑い話のようだけど、潜在的な設定や前提というのはこれがかなり本気なのだから厄介だ。


今、マスクをつけるようになって当初は内心ほっとしていたりしたが、こうも続くと、自分も特に嬉しいときなどはもっと表情ごと相手に見せたくなるし、相手の顔も見たくなるもので。

結果的に、マスクで制限され続けた生活が、私の心のマスクまでも一緒に剥がしたい!と思わせてくれることになった気がするから、制限にも感謝である。

笑顔がキライ。
醜い笑顔を晒したくないっていうセルフイメージが払しょくされつつあり、
どんな表情であっても、大切な人たちとたくさん笑いあって過ごしたいなと願うようになりました。

きっとそうして生きていくと思います。


そうやって、自分を苦しめていた勘違いをやめて、幸せな勘違いの種を自分の意識の中に蒔いていこうと思っています。


個人セッションもそんな感じかな。


先日のセッションは夕方からで、買い込んで来てくれたノンアルウメッシュ(←私の大好物)を吞みながらいろいろとつまみながらだったのですが、飲み会みたいで本当に楽しい時間でした。


この日の記録を見返しながら、意識の中を見ていくのは本当にエキサイティングでおもしろいな~とニヤついてます。
長い付き合いになっても、その人が根底に抱いているセルフイメージには毎度驚かされます。
何より本人が驚いてますけどね。笑

飲み会がこんな感じならどんどん参加するけどね。それも自分で増やせばいいのか。

どんな気分の一日一日を積み重ねるか?それを自分で選べるってことを体現していきたいものです。

その一日一日が『人生』ってことになるのだからね。

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