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水を得た魚、空を飛ぶ
あけましておめでとうございます。
皆さま、どのようなお正月でしたか?
今年も、お付き合い頂けましたら幸いです。
今年は、
とびたい!と思っております。
自分の高さで、
気持ちのいい〜ジャンプをしたい、
ぴょ〜〜〜んと跳べた!という快感の瞬間をより多く持ちたい、
と、いつになく感覚的な抱負となっておりまして。
これがまた、なんというか、
しっくり
と、くるんですね。
気持ちよ〜〜く跳べた?
という、
なんとも抽象的な基準が、
なんともしっくり。
今日、初ジャンプ
とまで、下書きを書いたままになっておりました、、、
ちょっと跳べた!って思えた仕事始めでした。
変に遠慮するのをやめて、ミーティングで質問したり気がついたことを発言したんです。(もちろんビビリなので前もって準備してた)
「え?今?」みたいな反応がチラッと聞こえて、心にチクっとしたけど、それはあくまで外野の声で。と自分に言い聞かせて。
肝心のこの活動を進める主はしっかりとこの私の心の開放を受け止めてくださったのを感じました。
そして新しい任務も頂き、
その後もその任務について(しつこいかな?)(細かすぎるかな?)と気にしながらも報告相談していったら、
なんか、パチっと噛み合ったのを感じて。
そしてすぐに売り上げがあったりして。
これでよかったんだ!
この私を晒して大丈夫な場なんだ!
と、これまでより一歩!
跳べた感覚でした。
わーい!
次元が違っていい
見てる世界が、一緒にいる人と違っててもいいや!
なんだかそう腹がくくれた。
私は私が生きたい次元を生きようって。
それがどういうことなのか?まだよく説明はできないけど、
視点が結構人と違うことを自覚した上で、自分の視点を大事にしたいと思った。
独特らしいけど、「独特だ」と取り立てていう人たちの言葉は聞かなくていいものだな、と。
私が生きたい世界では、わざわざそういうことを言わない。
皆が独特なのが当たり前で、
違いを面白がれて、尊重できて、
たとえ理解はできなくても互いが受け入れてる、
そんな世界にいたいのだ。
そこで、わざわざ「あなたは変わってる」だとか「独特だね」なんて言葉はあり得ない。
その言葉の裏には『普通』が存在してる。
照らし合わせる『基準』がある。
もううんざりなんだな、その世界。
私は私を、いい加減生きさせておくれ。
私は私の心地よい高さを跳ぶ。
スイスイ泳げて、気づけば空を飛んでるような
私が私であれる環境に身を置く。
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